『人の幸せを喜べない』人や友達にはどんな理由・心理が働いているのでしょうか?

もしくは、ある種の病気なのでしょうか?心理学の観点から考えていきます。

あなたがこのブログ記事を読んでいるということは、学校で同じクラスだったり、同じ仕事場の方でクラスメートや同僚が喜んでいる時に、1人でムスッとしているような人を見かけたことがあるのではないでしょうか?

 

人は他者から共感を得ることに大きな喜びを感じるものですが、その一方で、自分自身の気持ちが伝わらなかったり、相手から理解しようとする意思が感じられないと悲しい気持ちになってしまいます。

 

他人の喜びを分かち合うことが人間関係を良好なものにしていく上では欠かせないものであり、こうしたことは感覚的にすら感じているものだと思います。

 

しかしながら、どんなコミュニティーであっても必ず1人くらいは他人の幸せを喜べない人がいるものです。

 

そこで今回のブログ記事では 以下の文章で、人の幸せを喜べない人の心理・理由、病気である可能性などについて心理学の観点から考えていきたいと思います。

 

他人の幸せを喜べない人の心理・原因

まずは、他人の幸せを喜べない人の心理・原因について探っていきましょう。

今でこそ、こうしたブログ記事を書いていますが、私も一時期は周りの友達の幸せを素直に喜べない時期もありました。その頃を思い返しながら、書いていこうと思います。

他人の幸せを喜べない原因は大きく2つあると思っています。

<他人の幸せを喜べない2つの原因>
  • 劣等感を感じてしまっている
  • 価値感・観念によって考え方が凝り固まっている 

それではそれぞれの理由について詳しく解説していきます。

 

劣等感を感じてしまっている

人は本能的に自分自身の能力や価値は返金以上でありたいと思う傾向が強く、

そのために平均以下であるという客観的な事実に直面すると、劣等感や憎悪といった負の感情を抱くようになります。

私は大学受験で幸運にも私立の名門と言われている慶應義塾大学へ結果的に入学することができましたが、それまでの学生生活は常に劣等感との闘いでした。

 

中学生の頃までは中学受験をした訳ではなかったため学区内であらかじめ決められた学校に通っていて、特に進学校ということでもなかったので比較的簡単にテストでも良い点数が取れて中学3年生の頃には、成績表でオール5を取ったこともありました。

 

しかしながら、高校生になって地元で一番の進学校に通うようになると、周りの学生たちも中学校では同じようにオール5を取っていたような学生ばかりが集まっていて、いくら睡眠時間を削って勉強しても結果が出ない時期が続きました。

 

やはり進学校の中でも特にずば抜けて勉強のできる同級生はいるもので、ある友人は高校1年生の頃から学内テストではいつも主席争いをしていて、大学も現役で県立医学部に進学していきました。

 

その一方で、私はいくら頑張っても勉強で結果が出せずに、現役時代の受験では第一志望の大学に落ちてしまい浪人することになりました。

 

この頃の私には、難関大学に現役合格した同級生たちに対して強い劣等感を感じていて、喜びを共有しないどころか、一切の連絡を断って孤独に勉強に打ち込んでいました。

 

このように、人はあるものごとにおいて強い劣等感を感じていると、自分が劣っている方面で成功している人々の幸せを素直に喜べないのだと感じています。

 

劣等感に関連する用語としては、アドラー心理学に以下のようなものがあります。

器官劣等性(Organ Inferiority)身体機能等について、客観的に劣っていること。例えば、弱視という器官劣等性がある場合、その人は、その器官劣等性を巡って人生上何らかの決断を迫られる。
劣等感(Inferiority feelings)その人が主観的に「自分は劣っている」と感じること。
劣等コンプレックス(Inferiority complex)劣等感を使って、ライフタスクから逃れようとすること。例:自分は頭が悪いので勉強をしても無駄だ。

出典:アドラー心理学 | Wikipedia
引用元URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/アドラー心理学#.E5.99.A8.E5.AE.98.E5.8A.A3.E7.AD.89.E6.80.A7.E3.83.BB.E5.8A.A3.E7.AD.89.E6.84.9F.E3.83.BB.E5.8A.A3.E7.AD.89.E3.82.B3.E3.83.B3.E3.83.97.E3.83.AC.E3.83.83.E3.82.AF.E3.82.B9

 

私が劣等感を感じた『大学受験』は能力的な差に関するものでしたが、他にも、身体的な能力の差に対しても劣等感を感じますし、その劣等感から逃れようとする心理も働くことが分かります。

 

>>孤独感でうつになる独身が急増?うつ病の症状を解消するには?

 

それでは続いて、他人の幸せを喜べないもう一つの理由について考えていきたいと思います。

 

価値感・観念によって考え方が凝り固まっている

分かりやすく表現すると、『〜〜であるべきだ。』、『〜〜はこうあるべきだ。』という考え方が強すぎるあまりに、思い通りにものごとが進まないとストレスを抱えてしまうということです。

私は福島県出身で大学に進学するまでは、ほとんど県外に出たこともなければ、海外経験もありませんでした。

 

今考えてみると、そうした状況においては世界観がとても狭いものになっていて、大学受験に成功して難関大学に進学しなければ、幸せで豊かな人生を送ること絶対にできないと思い込んでいました。

 

当時の私にとっては、人生を豊かに生きる絶対条件である大学受験で思い通りの結果が出せずにいました。そのため、当時の状況を振り返ると、私は慢性的なストレスを抱えていたと思います。

 

そして同時に、同年代の学生で大学受験に真剣に取り組んでいなかった人々を心の底から軽蔑していたと思います。なぜなら、当時の私にとっては勉強で結果を出すことが学生時代の全てだと考えていたからです。

 

しかし、一年間の浪人生活を経て、大学に入学してから海外旅行をするようになると、世界中のさまざまな国・人種の人々と交流をしていく過程でいかに自分自身が今まで小さな世界観・価値感に囚われていたのかを実感しました。

 

今の自分であれば、人にはそれぞれ価値観・理想的な生き方というものがあって、そうしたものに沿って、人それぞれが彼らなりの方法で努力していると考えるようになりました。

 

つまり、狭い価値感の中で『〜〜〜であるべきだ。』といった固定観念を持っていると、他者への理解を示すことができずに、その結果、他人の幸せを喜べないことに繋がると思っています。

 

さて、ここまでは私なりに考える『人の幸せを喜べない理由・心理』について書いてきました。

 

それでは続いて、素直に他者の幸せを喜べるようになる自分なりの方法・解決策をご提案していきたいと思います。

 

人の幸せを喜べない時の解決策

人は自分自身の行動を無意識のうちに正当化しようとする傾向があります。

そして、自分の考え方や行動にそぐわない人々のことは理解せずに、否定してしまいがちになります。

人によっては自分自身の生き方や考え方に自信があるために、それと異なる価値感や行動原理を理解せずに否定してしまうことがあります。

 

例えば、高学歴の人々が大学にまで進学しなかった中卒や高卒の人々のことを下に見るような行動も同じ行動原理として考えることができます。

 

こうした考え方を避けるためには、以下のような2つのポイントを抑えることが大切だと思います。

精神的に楽になる2つのポイント
  • 他者の行動や考え方をそもそも判断しようとしない
  • 常に自分の行動や価値感に誤りがないか自問し続ける

 

それでは、それぞれのポイントについて詳しく解説していこうと思います。

 

他者の行動や考え方をそもそも判断しようとしない

基本的に、人は自分が責任を持つことに関してのみ、意見を発したりといった行動をすべきだと考えています。

人はそれぞれ生まれ育った家庭環境や周りの人間関係によって考え方や住む世界が異なっています。

 

たとえ、空間的には隣りに座っている人であっても、頭のなかではその人の世界観で外界の事象を捉えて、彼らなりの思考プロセスで独自の理解をしています。

 

そして、こうした事象の捉え方の違いなどに関して、他人にいちいち口出しすべきではないとも考えています。なぜなら、人はそれぞれ人生において決断・判断を繰り返して、その結果に対して責任を持つのは彼ら自身だからです。

 

もし、あなたが他の人の生き方や考え方を批判してあなたが正しいと考える方向に人生を変えた結果、その人が幸せな人生を結果的に送れなかったとしても、あなたはその結果に対して責任を取らないはずです。であるならば、人の判断や行動に対して安易に踏み込むべきではないと思っています。

 

また、こうしたことを意識しながら生活していれば、自分と考え方が異なる人と出会っても反感や否定といったマイナスな感情を感じることも無くなりますし、もし、身近な人が喜んでいるのならば、素直に幸せを共有して喜び合うことができると思います。

 

>>メラビアンの法則は電話応対にもおすすめ

 

常に自分の行動や価値感に誤りがないか自問し続ける

自分の行動や生き方に自信を感じている人ほど、もっと良い方法はないか?自分の行動に関して考えなおすべきことはないか?と常に意識することが大事だと思ってます。

高校時代までの私は一流大学を卒業して、一流企業で働くことが幸せになる上で大切だと考えていて、1歳年下の弟に対してもこうした考え方を押し付けて、しっかり勉強するにと常日頃から伝えていました。

 

しかし結局、今現在の私はブログ運営によって生計を立てるようになり、大学を卒業しても企業に就職すらせずに、海外を周遊する生活をすることになりました。

 

このように、私自身も『一流企業への就職』から『海外を好きなだけ飛び回る』ことが、幸せな人生を送っていく上で重要だというように考え方が変わってきました。

 

いくら自分の考え方に自信を持っていたとしても思いがけない体験がきっかけになって、価値感や自分にとって大切なモノが大きく変わってしまうことがあります。

 

今の私にとっては大学受験で努力して一流大学に入学したことなど全く重要ではなくて、一流企業に対するあこがれの気持ちなども全く感じていません。

 

それにも関わらず、数年前までは『一流企業に就職すべき』という考え方を弟に押し付けていた自分がどれだけ無責任だったかと痛感しました。

 

こうした経験から、私は信念を持って行動していくことは前提としながらも、自分の考え方や行動は間違っているかもしれないという謙虚な気持ちを持ちながら生活することを意識しています。

 

こうすれば、自分と全く異なる価値感で努力して彼らなりに満足の行く結果が出た際には、素直に彼らの幸せに対して共感して喜びを共有することができるようになると思います。

 

最後に

今回のブログ記事では、私の経験談を交えながら『人の幸せを喜べない時の原因・解決策』について考えてみました。

今回の内容をまとめると『人の幸せを喜べない』ということは、自分の気持ちに対して余裕を持てていないことが原因だと考えます。

 

もし、人の幸せを喜べないということに悩みを感じているのであれば、もっと色々な観点から事象を捉えてみたり、自分と考え方の違う人でも受け入れられる精神的な余裕を持てるように意識すると良いかもしれません。。。

 

心理・心理学について

 

また最後に、こちらのYoutube動画でも他人の幸せを素直に喜べない心理を分かりやすく解説しています。