お金 稼ぐ 罪悪感

お金を稼ぐこと・使うことに対して罪悪感を抱いている人はとても多いですが

果たして お金を稼ぐことは悪いことなのでしょうか?

 

私はお金を稼ぐことが悪いことだとは感じませんし、

お金を稼ぐ・使う』ということは社会の役に立っていると考えています。

 

なぜなら、お金を稼ぐということは それ以上の価値を

他者に提供したことの客観的な証明になるからです。

 

その一方で、どれだけ親切なことをしたつもりでも

その内容に対して 他者がお金を払うほどのものでなければ、

『他人に親切にしてあげた』という自己満足程度のことでしか無いのです。

 

それでは、いったいどうして大多数の人々は

お金を稼ぐことに対して罪悪感を感じてしまうのでしょうか。

 

その根本的な原因は学校の道徳教育にあります。

学校の道徳教育では『世の中の役に立つことが第一』であり、

『お金を稼ぐこと』や『お金を使うこと』は二の次といった価値感を

まだ自分自身の考えを持つことのできない小学生や中学生に植え付けていきます。

 

今回の記事では、どうしてこのような道徳教育がなされているのか、

そして、こうした学校教育から抜け出すための方法についてご紹介していきます。

 

お金を稼ぐことに対する罪悪感は道徳教育による弊害

お金を稼ぐことに対する罪悪感の原因は、

学校で成される道徳教育にあります。

 

そこでまずは、道徳教育においては

どのような価値感が植え付けられているのかおさらいしていきましょう。

 

世の中に役立つことが第一

道徳教育においては『世の中に役立つことが第一』であり、

人生はお金ではないという考え方を徹底的に教えこんでいきます。

 

こうした教育の結果、日本人の大多数は お金といった見返りを求めずに

ただひたすら他人のために尽くすことが美徳だと考えるようになっていきます。

 

だからこそ、いくら頑張ってもお金をもらうことのできない

ボランティアに精を出す人は数え切れないほどいますし、

 

周りの人々もお金のことを全く考えずに

献身的に行動する人々を賞賛する傾向にあります。

 

金のない人間に他者を救う力はほとんどない

しかしながら、『金のない人間に他者を救う力はほとんどない』

というのが私の考えです。

 

私は福島県出身で、東日本大震災の際には

地元や親戚の住む地域で大きな被害を受けました。

 

その際には、全国から数多くのボランティアの方々が福島県や宮城県を訪れ、

毎日必死になって ボランティア活動を行ってくださいました。

 

こうしたボランティア活動に参加してくださった方々には、

今でも頭が上がらないほど感謝していることは確かです。

 

しかしその一方で、巨額の資金を募金している数名の人間が持つ

震災復興における影響力の大きさにも驚かされたことを覚えています。

 

資金力のある人々が桁の違う金額を募金するだけで

何千、何万戸の人々の空腹を満たすための食料が配給されましたし、

家を失った震災難民の方々に仮設住宅を数多く提供することができました。

 

たった数人の力でも、お金の力があれば

これだけ大きなことができるのだと実感した瞬間でした。

 

お金を稼ぐことは圧倒的な善である

小学生の頃に道徳の授業によって 教えこまれたからこそ大多数の方々は

『お金を稼ぐこと=悪いこと』といった価値感を疑うことすらしませんが、

 

一度お金を稼ぐこと・使うことが

どういった意味を持つのか考えなおしてみれば、

お金を稼ぐことは圧倒的な善であると言い切ることができます。

 

どういったサービス・商品を購入する場合においても

お金を払う必要がありますが、

 

消費者はサービスや商品に対して 金額以上の価値を感じるからこそ

サービスや商品に対してお金を払うわけです。

 

ここで、極端な例を挙げてみます。

例えば、カフェで売られているケーキに1万円もの金額が設定されていたら、

誰ひとりとしてそのケーキを買う人は現れないはずです。

 

なぜなら、そのケーキに対して 誰ひとりとして

1万円以上の価値を見出すことは不可能だからです。

 

一方で、結婚式披露宴のために用意される巨大ウェディングケーキであれば、

新郎新婦は二度と無い機会ですから 1万円どころか数万円かけることになります。

 

なぜ、数万円以上もウェディングケーキに対してお金をつかうかというと

結婚式披露宴というのは 人生でそう何度もあることではないですから、

 

新郎新婦は ウェディングケーキに対して『希少性』や『限定生』

といった付加価値を感じるからです。

 

つまり、人は商品やサービスに対して

価値を感じれば感じるほどお金を支払うということなのです。

 

だから裏を返せば、お金を稼いでいる人ほど

他者に対してより大きな価値を提供できていることになるので、

お金を稼ぐことは圧倒的な善だということができます。

 

お金を稼ぐことに対して罪悪感を抱かせる道徳教育の思惑

それでは続いて、学校が提供している

道徳教育の裏に隠された思惑について書いていきたいと思います。

 

ここまで記事を読んでくださった方であれば、

お金を稼ぎ・使う金額が大きくなればなるほど他者に対して

価値提供できているということを理解して頂けたかと思います。

 

それではいったいどうして、学校の道徳教育では

客観的事実とは大きく乖離する『お金を稼ぐことは悪いこと』

という価値感を教え込もうとしているのでしょうか。

 

その理由はズバリ、

『お金に執着しない労働力の大量生産』です。

 

お金に執着しない労働力の大量生産

日本人の大多数は、サラリーマンとして

『雇われる側』として働くことになります。

 

そして、国や企業といった『雇う側』にとってみれば、

人を使うための人件費は安ければ安いほど好都合なのです。

 

そのため、『世の中に役立つことが第一』で 給料の金額に文句を言わずに

仕事に対する『やりがい』や『意義』を見出してくれる労働者を

喉から手が出るほど欲しがっているのです。

 

こうした『雇う側』にとって、好都合な人間を数多く作り上げることが

学校で提供されている道徳教育の裏に隠された目的なのです。

 

学校教育に洗脳された人間の末路

学校教育は道徳の授業に限らず、さまざまな形で

『お金に執着しない労働力』を作り上げる仕組みを作り上げています。

 

道徳教育以外の価値感の洗脳としては、

『頑張ればその分公平に評価してもらえる』といった価値感が挙げられます。

 

学校教育では この価値感を

将来の『お金に執着しない労働力予備軍』に教えこむために、

受験という制度を作り上げています。

 

大学受験までは、テストで問われる知識や納涼を高めた人々が

客観的かつ正当に努力が評価される仕組みとなっています。

 

大学を卒業して、社会人として働き始める前までは学校という特殊な環境の中で

『がんばった分だけ正当に評価される』といった幻想を抱かされていきます。

 

しかしながら、実際に社会に出て企業や国の仕事に就職してみれば、

そこは理不尽で不公平な評価が主観的に下される環境だと気付きます。

 

それでは、いったいどれだけ社会が理不尽かつ不公平に成り立っているか

女子アナウンサーを例に挙げて考えてみましょう。

 

女子アナウンサーが就職するテレビ局や事務所は数多くありますが、

テレビ局だけを考えてみても それぞれ採用する女子アナウンサーの

顔のタイプや性格、人間性といったポイントは大きく異なります。

 

テレビ局によっては、真面目で清楚な女性ああうんサーが好まれますし、

他のテレビ局では 全く正反対な女性が採用されることもあります。

 

そして、女性アナウンサーの採用・不採用は就職活動の際の

面接官の主観的な判断によって決定されています。

 

確かに、就職面接を受けるまでには

書類選考や採用試験といった数多くのステップを通る必要がありますが、

最終的な判断は 面接官の好みや趣向、印象といった主観的なものなのです。

 

つまり、学校という環境から 一度社会に出てしまえば、

『がんばった分だけ正当に評価される』なんて考えは通用しないのです。

 

これは何も、女性アナウンサーの

採用・不採用といった話に限ったことではありません。

 

ある企業に就職して働くことになれば いくら優秀で仕事ができたとしても

昇進や昇級を決める人事に気に入られなければ 全く評価されません。

 

その一方で、特に仕事で活躍する機会がなくとも

器量に恵まれていたり 上司に取り入るのが上手い人間であれば、

そこまで仕事で成果が出ていなくとも 上司から引き上げられていきます。

 

こうした結果、いくら頑張っても評価されずに給料が上がらない状況でも

少なくとも世の中の役には立っていると自分自身を納得させることで、

現状に耐えるようなサラリーマンが増えていっています。

 

それでは、こうした状況をどうすれば打開することができるのか、

具体的な方法についてご紹介していこうと思います。

 

【お金に対する罪悪感の根源】
金を稼ぐことは悪いことなのか?のまとめ

今回の記事では、道徳教育が 

お金を稼ぐことに対する罪悪感の原因であることや

 

社会で雇われる側として働く場合においては

『がんばった分だけ正当に評価される』といった考え方は通用しない

といったことについてお話してきました。

 

『がんばった分だけ正当に評価される』という考え方は

学校教育の中だけでしか基本的に通用せず、

 

社会に一度出てしまえば、上司から主観的に評価される

理不尽かつ不公平な評価の下で働くことしかできません。

 

学校の教育よりも お金の稼ぎ方を最優先で学ぶ!

努力した分だけ、正当に評価されるように働きたいのであれば、

『雇われる』という選択肢を勇気を持って放棄しなければいけません。

 

国や地方に雇われている公務員でも、

企業に雇われているサラリーマンのいずれにしても

学校教育の思い通りに働いていることなってしまいます。

 

そして、雇われる側になれば 自分よりも目上の人間から

評価されることでしか昇給や昇進などを望めません。

 

就職先によっては、完全歩合制や

フルコミッションなどを謳っている企業もありますが、

 

それらの判断基準も企業の上層部によって決められたものであり、

どのタイミングで それらの判断基準が変更されるかもわかりません。

 

反対に、自分自身でビジネスをしてお金を稼ぐことができるようになれば、

客観的な情報を元に正当な評価の下で働けます。

 

ビジネスにおいては、『メリットがあるかないか』や『利益があるかないか』

といった客観的な事実が判断基準の全てです。

 

ここに、器量の良さやコミュニケーション能力といった

主観的な指標は一切入り込んでいません。

 

人によっては、ビジネスにおいてこそ

コミュニケーション能力が必要だと考える人もいますが、

 

それは一度ビジネスで関係性を持ってからの話であって、

まず最初の入口としては『メリット・デメリット』『利益の多寡』が全てです。

 

日本人の大半が実践している『雇われる働き方』と比較すると

自分自身でビジネスをすることはとても厳しく感じられるかもしれませんが、

 

やっていることは大学受験までの学校教育と全く同じです。

『がんばった分だけ正当に評価される』それだけです。

 

特に、大学受験までしっかり努力することのできた人々は

比較的待遇の良い企業や国のポジションに就職するチャンスがあるので、

自分自身でビジネスをすることに対して強い抵抗を感じる傾向にありますが、

 

大学受験まで頑張り続けて

正当な評価の下で結果を出されている人であれば、

 

正しい方向性を把握して、徹底的に努力し続ければ

ビジネスの世界では稼げるようになって当たり前なのです。

 

また、学校教育では ほとんど評価されなかった人々も

相手から何かものごとを押し付けられることが嫌なだけで、

 

自分自身で定めた目標を達成するために徹底的に努力できるのであれば、

ビジネスの世界で必ず稼げるようになっていくのです。

 

努力した分だけ、正当に評価される働き方

私は慶應義塾大学という、

私立大学の中ではトップクラスの大学に在籍していますが、

 

もともと親や先生から強制されたから勉強を始めたわけではなく、

ただ単純に同級生に勉強で負けることが悔しかったから

勉強を頑張った結果 慶應義塾大学に入学しました。

 

そのため、私は客観的かつ正当な評価を受けられるのであれば、

圧倒的かつ徹底的に努力できる自信がありました。

 

だからこそ現在は、就職することを放棄し『創職男子』として、

自分自身でビジネスをして稼いでいます。

 

もし、私の生き方や価値感に共感してくださるのであれば、

ぜひ無料で配信している『創職ライフマガジン』を読んでみてください。

きっと、あなたにとって人生を変えるきっかけが掴めるはずです。

 

また、今回の記事のように学校教育の問題点や

学校での評価が奴隷体質を生むということについて書いた記事はこちらです。

学校は奴隷養成所?学校教育の問題点とは?