• 大奥での性の事情とは?
  • 江戸時代を生きた女性の裏話7選

江戸時代に誕生したと言われている「大奥」は、ドラマの題材としても話題となり、歴史上、大規模となる「女の園」としてとても有名です。

大奥には、1000人以上もの女性がおり、敷地内には600以上もの部屋があったそうです。

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そして、大奥の中には大変厳しいしきたりがあり、スキャンダルも勃発していたというのです。

そんな大奥での男女の性の事情について、江戸時代を生きた女性の裏話をご紹介したいと思います。

江戸城の大奥とは?

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江戸幕府を開いた徳川家康の居城が江戸城です。ここが江戸時代の政治の中心でした。将軍はここから日本全国の治世と行いました。

大奥とは、将軍の居住地を指します。また、職務を遂行する場でもあったと言えます。

一般的に私達が知る「江戸城大奥」とは、徳川家三代目である家光の時代に、乳母であった春日局が始め、初代将軍徳川家康の時代から存在しています。

 

その後、二代目将軍の秀忠の時代に、中奥や大奥が分けられ、大奥が将軍の私邸として使用されていました。

 

江戸城における大奥は、敷地面積が6000坪もあり、そこに女中や使用人が最大3000人もいたそうです。

 

大奥のしきたり

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大奥のしきたりは、門限が18時、春日局であっても門限厳守が規則でした。

お正月は新入り女中は、刺青が入っていないかを確認する為に、全裸で踊らされるといいます。

 

女中は、御台所を起こしたり、洗顔、かけ湯、着替え、食事の世話など、トイレのお世話までは女中の仕事であったそうです。

 

大奥のスキャンダルとは

設定された門限である18時を過ぎたことにより、1500人以上の者が処刑等の処分を受けたと言います。また、60人もの女中と関係を持ったという僧侶がいたといいます。

 

徳川吉宗の時代に、大奥の人件費を削減するために、50人もの美女を解雇しました。徳川綱吉の時代は、自身の母と子にも性を要求していたと言います。

 

歴史上のスキャンダルはスケールが大きいですね。将軍のことについて周囲の女性たちが困り果てていたことでしょう。

 

大奥のセックス事情

将軍とセックスできるのは20代女性だけ

大奥では、30歳ともなると、将軍とセックスすることは許されることではなかったそうです。

 

これは、当時の御台所様の多くが健康状態が良好ではないことから、万一妊娠ともなれば、現代でいう「高齢出産」と解釈し、身体への影響が大きく避妊の意味もあり、そのように扱われていたようです。

 

20代女性だけと言われると、何だか女性に対して失礼にあたる気がしますが、実際には女性の身体を心配しての対策であったのですね。

 

女性が30歳になると「お添い寝役」として、自分の子飼い女中を将軍様にさし出すということも行われていました。他の女性にお世継ぎを生ませることで自身の権威が落ちると言います。その為、身内を相手にしてもらうことにしたそうです。

 

しかし、全ての女中を将軍様が気にいるとは限りません。その場合、気に召されなかった女性は、その後、将軍様とセックスする可能性はほぼなく、城の中でただ過ごすだけになるそうです。

 

将軍とのセックスは常に監視付きで行われる

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一人の女性は将軍様の愛を受け、将軍様とセックスを行います。

しかし、もう一人の者は将軍様に背を向けたまま離れたところに床を敷き、一睡もせずに将軍様と女性がセックスする間も睦言に耳を立てていたそうです。

 

これは、将軍様がセックスの最中に、重要な事情を漏らすことがないよう常に監視の目を光らせていたと言います。この場に置かれる者を「お添い寝役」と言い、30歳を超えた者のことを指します。

 

せっかく将軍様の妻になっても、お世継ぎが生めず、夫である将軍が、自分の差し出した部下とセックスするのをそばで効かなければならないという、とても辛い立場の女性なのです。

 

正妻と側室はお尻を拭かない

将軍様はトイレの後始末は自分で行っていましたが、御台所やお部屋さまがトイレに行くという場合は、お供である者が付きそうことになり、お尻の後始末をしていたそうです。

 

寝間を終えた中臈は「お手つき」と呼ばれます。その後、懐妊して女児を出産すると「お腹様」と呼ばれ、男児を出産すると「お部屋さま」と呼ばれ、側室となることができます

 

大奥と聞くと、ゴージャスすぎる着物がとても印象的です。その為、トイレの世話はお付きの人がしていたということになるのでしょうね。

 

将軍と一度でもセックスしたら城から一生出ることができない

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将軍と一度でもセックスをしたら、その後、江戸城の近くにある御用屋敷に入り、一生城からは出ることができません。

これは、将軍の性癖について外部に漏らされることを阻止するためです。その為、その女性は他の男性と結婚することすらできません

 

そして、2度、将軍に呼ばれることもなく、その後は雑用や他の女中の教育に徹する等の仕事に就き、女性らしい恋はできません。

 

つまり、若いうちに将軍とセックスしてしまうことで、一生を城の中で過ごすという人生を送らなければいけなくなるのです。

 

月に10日設けられた禁欲日がある

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大奥へ出入りすることは、月に10日禁止される日がありました。

それは、精進日として歴代将軍の命日にあたり、宗教的な儀式を行うことが大切であったことから、女性はその儀式から遠ざけられたようです。

 

その間のみ禁欲日として設定されていたようです。

 

御台所と過ごす

御台所をセックスの相手に選んだ時は、大奥へ行くとおしゃべりをする時間となり、床に入ることが許される時間が22時頃であると言われていました。

 

寝床から離れる時間も決まっていました。朝6時にもなると将軍様は大奥を出て職務に就くという毎日だったそうです。

 

側室と過ごす

側室と過ごす時は、御台所の時よりもルールが厳しく、側室は厳しい身体チェックを受け、それから将軍様のもとへ行くことになります。

 

そして、床に入る時間は22時です。「御伽坊主」と呼ばれる女性が将軍と側室の添い寝をするというものでした。

 

側室と過ごす夜は御年寄へ全て報告されており、側室が個人的におねだりを行うことを阻止するためであると言われています。大奥に存在する「御伽坊主」は、年配女性のことを指します。

 

「御伽坊主」の役割は、将軍様の子作りの為のお世話をすることです。しかし、実際に行われるお世話がどのようなことであったかについては、大奥のしきたりにより、何も語られませんでした。

 

まとめ

いかがでしたか?大奥での性の事情について、また江戸時代の女性の裏話しについてご紹介しました。

江戸時代の大奥と聞けば、それだけで将軍様のハーレム状態な生活ぶりをイメージしてしまいますが、実際にはその場で職務をこなし、そこで生活を行っていたとうことが分かりました。

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しかし、将軍様とセックスできるのは20代の若い女性だけという概念は、一見同じ女性として不快に感じる部分もありました。

それは、子を身ごもった場合の身体へのリスクを考慮したものであったのですね。今は昔と違って医療も進歩し、高齢出産と言われる年齢も上がっています。

 

この時代は、食においても医療においても、良い状態、最高な状態とは言えなかったことから、このような対策を行っていたのですね。

 

しかも、将軍様と一度セックスすると一生城から出ることもできず、結婚さえもできないとなると、そんな人生も本当に辛かったかもしれないですね。

 

昔の性の事情はある意味とても厳しいものだったんだと感じますね。