- アイヌの文様ってどんなもの?
- アイヌの文様には意味がある?
- 魔除けの意味があるって本当?
アイヌ文化を代表する「アイヌ文様」はご存知ですか?北海道の宝物である、北海道遺産の中にはアイヌ文様も含まれています。
アイヌ文様には意味があるんだそうです。
今回は、アイヌ文様について意味や歴史などを交えてお伝えしていきます。
アイヌの文様の意味は?
魔除けの意味もあるって本当?
アイヌ文様とは
- アイヌの人たちが身にまとう衣服の模様で描かれていることでも有名です。
- マキリ(小刀)などの生活用具、儀式用具にも文様が描かれていました。
江戸時代後期に最も古いアイヌ文様についての記録があります。
いつ頃からあったのかわからないくらい古いもの。
そのルーツは、北海道の続縄文時代の土器の模様だったり、サハリンの民族の模様にも似ているなど言われ、発祥は不明なようです。
そんなアイヌ文様は代々どのように受け継がれてきたのでしょうか。
- 女性は小さい頃から針仕事で母親から教えられる
- 男性は日常用具へ文様を彫ったりして教えられる
好きな異性に対しても文様が使われていたそうです。
- 女性から男性へのプレゼントは「テクンペ(手甲)」・「ホシ(きゃはん)」
- 男性から女性へのプレゼントは「メノコマキリ(女性用小刀)」
このように心を込めて作ったものにも文様を描いてプレゼントしていたのです。
アイヌ文様の意味は「魔除け」?
アイヌ文様にはこんな意味があるそうです。
魔除け
アイヌ文様は、北海道アイヌ、樺太アイヌ、北海道内の各地域によって特徴に微妙な異なりがありますが、文様の意味には魔除けという意味があるという説があります。
この説が有力なようです。
衣服では、襟元や裾などから悪い霊が入り込まないようにという考えがあり、くもの巣が由来している網目模様の文様が描かれた。
模様の隙間からも魔物が入らないように、“オホヤンケ”と呼ばれる角突起も描かれる。
中には文様に特に意味はない・・・という方もいたりするようです。
アイヌ文様はどうやって描くの?
アイヌ文様を描く手法
アイヌ民族の衣服は、動物やサケの皮をつぎ合わせたものや、草木から作った糸が使われたりしていました。
その衣服にもアイヌ文様は描かれていたのですが、その手法はいくつかありました。
- 刺繍
- 切伏(別の布を張り合わせて文様を描く)
- 切抜(布を切り抜いて左右対称の文様を描く)
さまざまなものに描かれるアイヌ文様ですが、主に衣服にはどのような文様が描かれていたのでしょうか。
衣服の文様の基本
衣服の文様には基本的な模様があるようです。
- モレウ(ゆるやかな渦巻き)
- アイウシ(とげの形)
基本はこの2種類。模様は自然から生まれた形。
渦巻きの場合は川の流れ、風、ツルなどからとられたもの。とげの形は記号→{}に似ているんです。
これはあくまでも衣服においての基本の模様で、無数の文様があります。
他にも「ラムラム」と呼ばれるうろこ状の文様もあります。主に木に彫って描く文様に使われます。
アイヌって何?
アイヌの歴史について知らない方も多いのではないでしょうか?
- 主に北海道に住む、先住民族のこと。
- 北海道、樺太・千島列島に住んでいて、今は主に北海道に居住している。
アイヌ民族は、日本の本土に住む人とは違う文化を持っていました。その文化の違いから、現代でもまだ悲しい差別問題も残っているのは事実なんです。
アイヌ文化の完成は13~14世紀
北海道でも数万年前の土器がたくさん発見され、大昔から人が住んでいたことが確認されています。
本州と同じく縄文文化も存在していました。
本州では縄文文化の後に弥生時代がきますが、北海道では縄文文化を受け継ぐ、続縄文文化の時代がありました。
その後には、東北地方の古墳文化の影響を受け、察文文化が広がりを見せたのです。この頃、オホーツク海沿岸地方では、オホーツク文化が展開。そのほかには、トビニタイ文化というものもあったようです。
周囲の影響を受けながら、アイヌ文化が完成したのは13~14世紀だとされています。
古代文化は諸説があり、現在でも研究が続いていますが、現在言われているアイヌの歴史の大まかな流れはこのような感じ。
自由な貿易をしていた
アイヌの人たちは貿易も盛んにしていたことが分かっています。
津軽海峡に渡り、日本の本土とも自由に貿易をしていました。
しかし、1457年から様子が変わり始め、和人(アイヌからみたアイヌ以外の日本人)とアイヌの間で対立が生まれ、和人がアイヌを殺してしまったことで戦いが始まる。
この戦いは何度も起こったそうです。
これによって自由な貿易ができなくなるだけでなく、貿易貧の値段も下げれられてしまった。
このような不平等な条件に納得のいかないアイヌは、何度か反乱を起こすのですが、全て敗戦してしまいます。
そして、アイヌは過酷な条件で労働をさせられ、経済的な支配も更に強まるのです。
本土の和人はアイヌを見下していたのでしょうか・・・。過酷な労働と不平等な貿易を考えると、そう考えてしまいます。
先住民族とは言え、あくまでも日本人として暮らしています。私たちと何も変わらない生活を送り、衣服も普通のものです。
現代社会では、アイヌの伝統文化が消えてしまう可能性もあることから、近年、アイヌの文化を守って、伝えていこうという動きもみられます。
アイヌの差別問題
現代でも残念ながらアイヌに対する差別があるのは事実なようです。
現代に通ずる差別は、明治時代に確立されたとされています。
明治時代の政府は「蝦夷地(えぞち)」を「北海道」と名前をかえて、強制的に日本の領土とした。
そして同時にアイヌも強制的に日本人として取り込み、アイヌを旧土人として和人とは区別をした。
そして、同化政策を推し進めました。
同化政策
明治政府はアイヌの生活習慣や様式を無視して、和人と同じ生活をするように進めたのです。
- 名前を和人風なものを与えて、シカ猟・サケ猟を禁止
- 土地はほとんど和人のもの
- アイヌの習慣である耳輪・刺青・その他儀式も禁止
アイヌの文化、習慣を禁止したのです。
耳輪や刺青、儀式の習慣も「野蛮」だと言って禁止したんです。
さすがに反発が強まることを懸念したのか、明治32年(1899年)には「北海道旧土人保護法」を制定。
当時の和人は、アイヌに対して野蛮であるとか、知力が低いとか勝手な考えがあったのでしょう。
そのお陰で、アイヌはどこに行っても劣等部族として差別され、迫害を受けて厳しい生活を強いられてきたのです。
もちろん、こんな不平等で一方的な政策に反抗的なアイヌもいました。反抗的なアイヌを“劣ったもの”と見なされ、「アイヌ」という言葉自体を差別的な意味で使う人も多くなりました。
悲しい事実。しかも、それが現在でも残ってしまっているということも悲しいですよね。
アイヌが悪いわけではありません。知力が低いわけでも、野蛮なわけでもありません。昔、和人が勝手に決め付けたことから、迫害や差別が始まってしまったのです。
まとめ
アイヌ民族には、代々受け継がれてきたアイヌ文様が存在します。
自然をモチーフにした模様を様々な手法で、衣服や日常道具などに施していたのです。
そのアイヌ文様には、「魔除け」の意味が込められていると伝えられています。
アイヌの文化や習慣については知らないことが多いですが、苦しい生活を強いられた時代もあったのですね。
アイヌの文化や習慣などについて知ることができる「アイヌ博物館」などもあるので、北海道に旅行など行かれた際には立ち寄ってみるのも良いのではないでしょうか。
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