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  • バナナを漢字で書くと?
  • 漢字表記の由来とその語源

栄養価も高く、子供からお年寄りまで幅広い世代に人気の高いバナナ。

手で皮を簡単に剥けて食べられて、お菓子にもなりますね。

小学生の遠足では、お菓子は300円までという学校の先生の言いつけに対して、バナナはお菓子に入るのかどうかで熱く議論された経験のある方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?

 

ちびまるこちゃんとかでも出てきそうなエピソードですね。

バナナを漢字で書くと?

ちなみにバナナは漢字で書くとどうなるか知っていますか?現代の日本語としては、バナナの漢字は存在しません。

 

しかしながら学問的あるいは歴史的な漢字書きの表現としては芭蕉もしくは実芭蕉というのもあります。ただ、これらの表記を使っても現在の日本ではほぼ通じないようです。

 

中国語では香焦(xiangjiao)と言います。この表現の方が国際的には通じるようです。

 

芭蕉・実芭蕉という漢字の由来・意味とは?

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芭蕉もしくは実芭蕉という名についてですが、調べてみたところ2つの説がありました。

1つはもともとは芭蕉と呼ばれていましたが、実芭蕉という名がつけられてからは、漢字表記の場合は実芭蕉と呼ばれるようになったという説。

2つ目はやはり古くは芭蕉と呼ばれているがその中で実を食べられるもの実芭蕉とも呼ばれるようになったという説です。

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「芭蕉」という文字ですか、見覚えがありませんか?

そう、あの「奥のほそ道」や「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句で有名なあの松尾芭蕉ですね。

 

これらは日本人ならば誰でも聞いたことがあるといってもいいぐらい有名ですよね。松尾芭蕉は、現在の三重県伊賀市出身の江戸時代前期の俳諧師です。

 

ではバナナと松尾芭蕉にどんな関係があるのでしょうか?松尾芭蕉がよく食べていたフルーツだからそれが芭蕉と呼ばれるようになった?そうではないようです。というよりは逆でした。

 

松尾芭蕉はもともとは桃青と名乗っていました。ですが、ある日、桃青の弟子が桃青の自宅の庭に芭蕉の木を植えました。

 

当時の1600年代には芭蕉の木は非常に珍しかったこともあり、桃青はそこから名前をもらって松尾芭蕉と名乗るようにしたとのことです。

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バナナのルーツを調べていくと、紀元前や聖書にまでさかのぼります。

非常に気の遠くなる話ですね。それから今日の日本にバナナが普及するまでの歴史をたどってみます。

 

エデンの園の「禁断の果実」はリンゴではなくバナナだった?

創造神によってつくられた最初の人類であるアダムとイブはエデンの園で何不自由ない生活をしていました。

 

しかし、蛇にそそのかされて創造神に唯一絶対食べてはいけないといわれていた禁断の果実を食べてしまったために、創造神の怒りに触れてしまい、エデンの園を追い出されてしまいます。

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聖書に詳しくない人でもこれぐらいは誰でも知っている話ですよね。

この禁断の果実はリンゴだったと教わりませんでしたか?なんとこれがリンゴではなくバナナだった?という説が存在しています。

 

ルネサンス時代のヨーロッパ以外の学者たちはその果物は正しくはバナナだと主張していたのです。

 

また、楽園の物語を旧約聖書とは違う形で語っているコーランではまさにバナナと書かれているそうです。

 

バナナの起源

バナナの歴史は大変古く、マレー半島のあたりで紀元前5000~10000年ごろに偶然できたバナナの苗を人間が栽培するようになったのが現在のバナナの起源のようです。

 

もともとバナナは我々が知っている大きさではなく、人差し指ほどの非常に小さく、しかも種があるバナナだったそうです。

 

当時の人たちにとって、それをあえて食用に栽培しようするものではなかったそうですが、ある時期突然種無しバナナが出現します

 

突然変異または偶然の異種交配によるものと考えられています。それは大きいものであり、食用に適していたので栽培がはじまったそうです。

 

私たちが普段食べているのはマレー半島原産の「ムサ・アラミナータ」とフィリピン原産の「バビルシアーナ」の2種がもとになっているといわれています。

 

この2つの「ムサアラミナータ」と「バビルシアーナ」の2つが出会ったことにより、様々な品種が生まれてきたという歴史があります。

 

バナナを西洋に広めたのはあのアレクサンドロス大王だった!

紀元前300年代に活躍した大遠征をしたことで有名なマケドニアの王アレクサンドロス大王はインドのインダス側上流でバナナを発見し、船でバナナをエジプトに持ち帰ったそうです、

 

これによってバナナは初めて西洋にもたらされることになりました。このことから、インドから西方へのバナナの伝播は中近東を通らずに海を渡ったと考えられています。

 

フランス人の神父によってアメリカにもバナナが広まる

コロンブスのアメリカ大陸発見後の16世紀ごろ、フランス人の神父がアメリカへ渡航する際、西アフリカのカナリヤ諸島(スペイン領)に立ち寄りました。そこで手に入れたバナナの苗を持って大西洋を渡りました。

 

そして中米ハイチに上陸し、苗を育ててみたところ、気候に合っていたため繁殖しました。ここからキューバ、メキシコ、ブラジルなど、アメリカ大陸に移住者とともに広まっていきました。

 

台湾からの輸入で日本にもバナナが入ってくる

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明治36年(1903)4月10日台湾からバナナが輸入されました。

台湾から神戸港に7籠のバナナ(1籠あたり10.8kg入り)が持ち込まれました。これがバナナの商業的輸入のはじまりといわれています。

 

当時の台湾は日本の支配下で植民地とされていたため、厳密には国内での移入ということになります。

 

バナナの日本への普及

現在は比較的安価なフルーツの代表と言えるバナナですが、日本に入ってきたころは非常に高価なフルーツでした。贈り物やお見舞いの品など、ごく限られたときにしか買えないようなものだったそうです。

 

1949年には市場での卸値は1キロあたり、1000円以上に相当する値段がついていました。当時の日本人の平均月収は10000円弱程度でしたので、平均月収の1割もするということですね。

 

これは何故かというと輸入数が制限されていたからです。当時の日本では外貨が不足していたので、バナナは必要性の低いものと考えられていました。

 

数の限られたバナナの輸入権利を獲得しようと多数の業者が争う形になってしまったため値段が跳ね上がってしまったのです。

 

しかし、戦後の日本は自国の産業保護のために輸入制限をすることが許されない状況になったために 1963年(昭和38年)にバナナの輸入が自由化されました。これに目をつけたのがフィリピンです。

 

輸入自由化された日本市場向けのバナナを生産するために、大農園(プランテーション)が作られます。これによって1970年代のフィリピン産のバナナが大量に出回るようになり、台湾産は次第に数を減らしていきました。

 

1970(昭和45年)の時点では、エクアドル産バナナが1位になったのですが、その後、1973年(昭和48)年ついにフィリピンが一位になります。

 

以降、現在に至るまでバナナはフィリピンからの輸入がトップを独占するようになりました。それに伴い価格も安価なものになり、日本人に定着していくようになりました

 

日本では沖縄、小笠原奄美諸島などのごく限られた地域での少量生産やハウス栽培などで栽培されるのみで戦前・戦中から現在に至るまでほとんどを外国からの輸入にたよっていています。

 

果物・野菜の漢字表記について

 

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