• ねぶた祭りはなぜ青森県で始まったの?
  • ねぶた祭りには歴史がある?

青森県で行われる「ねぶた祭り」は日本でもとても有名なお祭りです。

このねぶた祭りを知らないという方はいないのではないでしょうか。

そんな日本の国を代表するとも言われるねぶた祭りは、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

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そんなねぶた祭りですが、このお祭りには歴史が存在します。

ここでは、ねぶた祭りの歴史や、ねぶた祭りは発祥した由来について詳しく解説していきたいと思います。

青森ねぶた祭りの由来とは

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ねぶた祭りにはどんな由来があるのでしょうか。

青森県で行われるねぶた祭りは、日本で行われている七夕祭りで行う灯篭流しを少し変形したものではないかと言われています。

 

そもそも、ねぶた祭りの由来は、はっきりと明確な文献として残されていないそうです。

 

これは、青森県が東北地方である為、昔、朝廷などの制度がなく、権力も行き届かないような土地柄、場所柄でもあった為、ねぶた祭りについての書物などが作られておらず、現代にはっきりと記すものが何もなかったのでしょう。

 

しかし、ねぶた祭りの大きな作りとしては、提灯などを使用し、燈籠の一種でもあるのです。その為、七夕祭りに行う燈籠流しが起源なのではないかと言う説も残っているそうです。

 

平安時代の戦場が関係している?

平安時代の征夷大将軍である坂上田村麻呂が、戦場において相手の敵を油断させようと、灯篭や笛、太鼓を使用しはやしたてたことが由来であるとも言われていました。

しかし、坂上田村麻呂は、青森県において軍事活動を盛んに行っていたという事実を証明するような歴史的な資料は存在しておらず、この説は有力ではないと、現在ではそのように捉えられているのです。

 

その他の説には、奈良時代に中国から渡ってきた七夕祭りと、日本の昔ながらに津軽に存在していた精霊送りの行事が合体することで燈籠が出来上がり、その燈籠が扇ねぶたと変化を遂げたと考えられているのです。

 

その後に、燈籠流しが「ねぶた流し」と呼ばれるようになりました。

 

しかし、日本が江戸時代から明治時代にさしかかる際、戦時中は、燈籠を持って街を歩くことを禁止されていたそうです。

 

そして、戦後になると、ねぶたを竹で骨組みし、和紙を貼り、その和紙に絵を描き、中にはろうそくを入れて光を放っていました。

それが、現代においては、骨組が竹ではなく針金に変化し、内部に入れる光源は蛍光灯に変化し、バッテリーまでもが搭載され、様々な表現を可能とする燈籠が出来上がりました。

 

「ねぷた」と呼ばれる「ねぶた」とも呼ばれる理由

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「青森ねぷた祭り」と「青森ねぶた祭り」と言い方に違いがあるのでしょうか?

青森県は日本の中でも方言の濃い地域であり、津軽弁で話す青森県民のなまりによって「ねぇんぶた」と話すように聞こえるそうです。

それが後に日本国において重要無形民俗文化財になったことで、「ねぶた」や「ねぷた」といった呼び名に短縮され、その名称が決められたそうです。

それでも、確実にこちらの言い方をしよう!といった強い決まりがないまま現在に至ります。

 

今は「青森ねぷた祭り」と表現しようと、「青森ねぶた祭り」と表現しようと、実際にはどちらも正しい呼び名になっているのだそうです。

 

宣伝活動においては、どちらの表現もなされているので、青森県に旅行へ行かれる際は、旅行会社などで表記されている青森県ねぶた祭りの情報に目を通してみてください♪

 

無形民俗文化財にはどのように記録があるのか??

青森県ねぶた祭りは、「ねむりながし」の習俗でもあり、仕事を行うにあたり、眠気を覚ますことを目的とし、それが風流化したものです。

笛や太鼓の音に合わせ、「はねと」と呼ばれる者が多数、一丸となってねぶたが青森の町を歩きます。

 

ねぶたとは、歴史上の人物の中で勇壮な者が題材となり、木や竹を使用し、骨組を行い、大きな人形に灯りをともして町を練り歩くことを言います。

 

また、ネムノキを「ねぶた」と呼んでおり、これを家の柱に付けると、悪魔を眠らせることができたりするそうです。

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早朝に子供が水浴びをして遊ぶことを「ねぶた」とも呼ぶ地域もあるそうです。

「ねぶた」は、津軽弁で言う「眠い」に由来しているそうで、これがいつしか訛りをみせ、「ねぶた」と呼ばれるようになったそうですよ。

 

他にも、東北地方における七夕祭りでは、「ねむり流し」という、「ねむ」と言われる樹の枝や葉っぱを川や海に流したことでそのように呼ばれていたそうです。

 

そして、提灯や燈篭を川に流すといった風習は、昔ながらのお金持ちを象徴しているそうで、その人々が自分の持つ権力を見せつけるといったことを行い、それらが地域において競争心をあおり、なぜかお祭りという形で青森県に定着したそうですよ。

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ねぶた祭りの「ねぶた」には、様々な由来があるんですね。

日本の様々な出来事や行事など、総合して見てみると、それぞれに色々な由来や意味が込められていることが分かります。

 

そのようなことを色々と考えだした昔の方々は、素晴らしいと言えますね。

 

ねぶたについて調べてみると・・・

ねぶた祭りの様子については、生で体験したことがあるという方はもちろん青森県民もしくは近隣に住む方だけで、それ以外の方は、何となく一度はテレビなどで放映されているお祭りの様子を見たことがある方もいると思います。

 

その為、少しはねぶた祭りのイメージが湧いてくるのではないでしょうか。

 

ねぶた祭りについて色々と調べてみると、単なるお祭りといった位置付けだけではなく、本当はとても奥深いお祭りであることが分かりました。

 

ねぶた祭りを開催するにあたり、そのお祭りの成功をおさめるために、製作期間はなんど3ヵ月も要するそうです。

 

しかも、ねぶた祭りに費やされる費用も実に2000万円という大金です。

 

ねぶたの特徴
  • 大きさについては、幅が9m、そして奥行きは7m、高さが5mと何とも巨大です。
  • ねぶたは骨組みを針金で作ったあと、その上に和紙を約2500枚も重ね、形を作ります。

ねぶたの内部には、電球や蛍光灯が1000個ほど取り付けられていて、青森の夜の街を一層鮮やかに彩り、お祭り気分一色に変化します。

 

当然ながら、ねぶた祭りの開催日程が近づくにつれて、ねぶたを作成する製作のプロの方は、毎日徹夜して作業を行います。

 

それでも、ねぶた師である以上、ねぶた祭りを成功に導いた後は、翌年の政策についても考案するなど、一年中ねぶたのことを愛している方でなければ到底できる作業ではありません。

 

このように、ねぶたがひとつひとつ、しっかりと思いが込められた上で開催されていることについて、さらにねぶた祭りの魅力を感じることができますね。

 

青森県のねぶた祭りの歴史についてねぶた祭り 青森県 歴史 由来

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青森県のねぶた祭りの歴史をみてみましょう。

初めてのねぶた祭りは享保年間1716年

ねぶた祭りの歴史について、初めてねぶた祭りが行われたのは享保年間1716年のことです。

 

燈篭を持って街を歩いたことが記録として残っているそうですが、このお祭りは、京都の祇園祭にも似ていると言われていたそうです。

 

そして、ねぶた祭りは、日本が江戸時代の後期を迎える頃には、大型の担ぎねぶたが作られ、お祭りそのものがとても盛大に行われるようになったのです。

 

この頃は担ぎねぶたが一般的に行われ、実に担ぎ手は100人以上にものぼったそうです。

 

明治時代初期には禁止令も

明治時代初期となる明治6年に、青森県よりねぶた祭りの開催が禁止され、禁止令までもが発令されたそうです。

 

これは、その当時の知事が派遣された方であり、ねぶた祭りは野蛮であるという理由により禁止となったと言われているのです。

 

その後、この禁止令は明治14年まで続き、その後、明治15年にいったん禁止令が解除されました。

 

禁止令が解かれ、実際にねぶた祭りが再開されるも、一世風靡した頃のような華やかなねぶた祭りではなく、随分と縮小傾向になったそうです。

 

これは、時代により、電気が普及したからだと言われているのです。

 

電気が普及した時代であるということは、電線があちらこちらに張り巡らされているので、ねぶたを担いで町を練り歩くなどしても、電線に引っ掛かってしまうからです。

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このようなことから、ねぶたは縮小されていったそうです。

時代は昭和となり、この時代に日本だけではなく全世界において不況が訪れました。

 

しかし、ねぶた祭りはこの不況の中でも開催され続けましたが、戦時中は自粛することとなります。

 

日華事変から第二次世界大戦が終わるまでの9年間、ねぶた祭りは開催されませんでした。

 

そして、戦後の復興の最中に再度ねぶた祭りが復活したと言われています。

 

1948年となる昭和23年以降、ねぶた祭りは「青森港まつり」といった名称で開催されており、現在にいたっては「青森ねぶた祭り」という名称になり、戦後は再びお祭りが巨大化していったそうです。

現在においては、ねぶた祭りは地元青森県民だけの楽しみではなく、観光課しており、お祭り期間になると、人出が1日に300万人を超えることもあるそうです。

 

そして1980年、昭和55年にねぶた祭りは日本国における重要無形文化財に指定されました。

 

ねぶた祭りの掛け声「ラッセラー・ラッセラー」の意味は

青森県で行われるねぶた祭りには、「ラッセラー・ラッセラー」といったような威勢の良い掛け声がかけられています。
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その掛け声には何か意味があるのでしょうか?

これは、青森県の津軽弁での意味が「出せ、出せ」という意味になるそうです。

 

また、ねぶたが電気ではなくろうそくを使用していた頃は、ねぶたを灯すろうそくを集めようと子供達が家を回ったそうです。

 

その時、玄関で「出せ出せ、ろうそくを出せ、出さねばかっちゃくぞ」などと言って囃し立てたそうです。

 

その他にも、「出せ出せ、いっぺぇだせ」と言い、寄附金をねだる意味でこのような掛け声があったそうです。

 

さらに別の説では、「ラッセ」は「拉っせ」と言う意味になり、「殺すな、捕えろ、連れて行け」といった怖い言い方や意味に捉えることもあるそうです。

 

これは、蝦夷を討伐することを意味しているそうです。

 

しかし、色々な文献に細かなことは記されていない為、この表現の意味についても実際には明確なものはないそうです。

 

言葉の雰囲気からしても、そこまで何かを強く望むといった願いのある掛け声とはかけ離れていることは何となくお気づきでしょう。

 

ねぶた祭りは、京都などで行われるお祭りのように、神社が後ろ盾になっていない為、何かの目的を持って行っているお祭りではない可能性があるとも言われているのです。

 

五所川原立佞武多の掛け声については、「やってまれ」といった津軽弁を話し、これは「やってしまえ」といった強くて乱暴な言葉に該当します。

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漢字に変換してみると「殺ってしまえ」となるのです。

弘前で行われるねぶた祭りの際にかける掛け声は「ヤーヤドー」となり、これは、「ねぶたは流れろ・・・豆の葉は止まれ、いやいやいやよ」といった意味になるそうです。

 

掛け声であることから、重量のあるねぶたを多人数で担ぐ為、その力のいれどころによる掛け声であるのかもしれませんよね。

 

青森県のねぶたの種類は?

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青森県で行われるねぶた祭りには種類があります。

青森県ねぶた祭りの種類
  • 大型ねぶた
  • 子供なぶた
  • 地域ねぶた

といった3種類が開催されています。

 

青森ねぶた祭りは、国道4号線、新町通り、八甲通り、そして平和公園で囲まれ、右まわりに町を練り歩きます。

 

また、青森ねぶた祭りの勝者には、「ねぶた大賞」が送られることになっています。

 

この賞を送る制度は昔ながら行われており、歴史的にも古いとされています。

 

ねぶた祭りは毎年8月2日空7日まで、合計6日間に渡り開催

夜には海上で花火大会が開催されます。

 

日本全国各地においてねぶた祭りが存在するのはなぜ?

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日本国においては、全国各地で様々な形でねぶた祭りが開催されています。

これは、戦後にやっと明るい未来を見据えることができるといったように、青森でねぶた祭りが復活、復興したことにより、あらゆる土地から観光客が訪れるようになり、復興と話題を作るためにねぶた祭りが始まったと考えられています。

 

もちろん、ねぶた祭りを行う理由については、それぞれの地域性も異なることから、理由も様々であることは想像できます。

 

ひとつ、大きな特徴として挙げられることは、ねぶた祭りを開催している場所は、日本海側が多数であることが分かっています。

 

これは、京都で行われる祇園祭には、ねぶたのように大きな人型となる燈篭がないことや、秋田の竿燈祭りなどにもこのようなねぶたほどの華やかさはなく、やはり青森ねぶた祭りは特別なものであることが分かります。

 

ねぶた祭りの見どころ

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2017年ねぶた祭りの様子です。

青森県で行われるねぶた祭りに初めて訪れるという方必見!

ねぶた祭りの見どころについてご紹介します。

 

ねぶた祭りは現在は観光化されている為、全国各地から大勢の観客が訪れ、それによって多くの旅行社においても様々なツアーが企画されています。

 

旅行として、観光として認識されるようになったねぶた祭りは、毎年大賑わいを見せています。

 

そんなねぶた祭りの見どころは、

 

幅9m、高さ5m、奥行き8m、重さ4トンもある巨大なねぶたを100人以上の者が担ぎ、青森市内を練り歩きます。

その迫力はとても見ごたえがあります。

 

ねぶたの中には800個ほどの電球や蛍光灯が取り付けられている為、暗闇に浮くねぶたの立体武者が勇壮にしている姿が何とも迫力満点です!!

 

ねぶたの前後には曳き手やお囃子ハネト(跳人)と呼ばれる踊り手がいて、躍動感あふれるステップで踊り、まるでねぶたが生きているかのように命が漲った様子を楽しむことができます。

「ラッセ!ラッセ!ラッセラー」と大きな声で威勢よく掛け声を掛け、跳人はねぶたの周りを飛び跳ねながら踊ります。

跳人の浴衣に鈴が付いている為、飛び跳ね、踊るとシャンシャンと音がなり、この音が幸せを運ぶとして伝えられているのです。

 

青森ねぶた祭りは、ぜひ一度見ておきたい迫力満点のお祭りですよ!

 

まとめ

青森県で行われているねぶた祭りについて様々な情報をご紹介しました。

青森ねぶた祭りは、誰もが耳にしたことのあるお祭りの名称であるにも関わらず、その歴史や意味、由来や起源が誰にもわかっていないという点についてすごく不思議に感じましたね。

そんなことはない!と色々と探してみても、やっぱり明確なものはないようです。

 

それでも、あれだけ迫力あるねぶた祭りを開催できるのは青森だけではないでしょうか。

 

歴史的にはある程度どのようにねぶた祭りが開催されていたかは分かりますが、その開催される意味は定かではないようです。

 

それでも、現在、青森県と言えば、ねぶた祭り!ということで誰もが認識している為、今後もそのねぶたの迫力を受け継ぎ、将来に向かってずっとずっと続いて行ってほしいと思います。

 

この記事を読んで、もしかすると今年の夏はねぶた祭りに行ってみよう!と思われた方もいるかもしれません。

 

日本の代表とも言えるねぶた祭りは一度は経験しておきたいですね!