- 浦島太郎は本当の話だった?
- 竜宮城の場所&浦島太郎のモデル
この季節の昔話と言えば、浦島太郎でしょうか。
歌にもあるような、懐かしくも有名なお話です。
最近では、携帯電話のCMにも登場し、大変人気のキャラクターになっています。
今回は、浦島太郎について調べてみました。
浦島太郎は本当の話だった?
浦島太郎と言えば、亀に乗った姿や竜宮城での乙姫様の接待の様子、玉手箱を開けた時の様子などが思い浮かびます。
子供の頃は、おとぎ話でしか浦島太郎ですが、実は本当の話だったかもしれないとの説もあります。
日本における3つの浦島太郎伝説を見ていきましょう。
神奈川県横浜市伝説
相模国三浦に浦島太夫という人がいて、仕事のため丹後国に赴任していました。
その息子である太郎は、浜辺で子供たちにいじめられている亀を助け、竜宮城に招待されます。
玉手箱と観音像をもらい、戻りますが、既に両親は亡く、墓は武蔵国にあるというので、老人になった太郎はその観音像を墓の近くに安置したというお話です。
その時の観音像が横浜市神奈川区の運慶寺に安置されています。
香川県三豊市伝説
浦島太郎のお話の内容はほぼ同じですが、浦島太郎の生まれた「生里」という里、いじめられている亀を助けた「鴨之越」という浜辺、太郎が玉手箱を開けたという「箱」には、太郎親子の墓などがあります。
市内詫間町には、物語の中に出てくるところが実際に想定されている場所が多くあります。

また、観光PRなどのため、実際に浦島太郎に扮している人物がいます。
沖縄県
物語の全体像としては、似たようなものですが、亀を助けるではなく、髪の毛を拾うだったり、玉手箱が紙包みであったりします。
紙包みの中にある白髪がついて老化し、亡くなってしまったというお話です。
この他にも、京都府伊根町の浦島神社を始めとした丹後半島あたりや、長野県上松町には浦島太郎が竜宮城から戻って玉手箱を開けたという寝覚ノ床などがあります。
最古の浦島太郎伝説
浦島太郎という名前は中世からで、それ以前は浦島子という名前での記述がありました。
それは、丹後国風土記逸文、日本書紀、万葉集です。
これらに記述されているものは、現代に伝わっているものと少し違っています。
釣りをしていた男が美しい女性と出会い、結婚して常世に行き、何年かのちに里帰りをしたいと言いだし、戻ったところ既に何年もの月日が経っていたというお話です。
よく知られている浦島太郎は、室町時代の御伽草子を基本として、さらにその後の中世くらいに亀や竜宮城が出てくるようになります。
それから亀を助けるときに買い取るとか、迎えの船とか、里帰りを遅らせる四季の宴などが出てくるのですが、いかにも近代的な風刺を感じます。
浦島太郎は本当の話なのか
果たして、浦島太郎の話は、本当だったのでしょうか。
日本には数多くの伝説がありますが、実際に記述されているのは少なく、本当のところはわかりません。
また、これだけ進化した現代では、浦島太郎が実在したかどうかはにわかに信じられませんが、日本書紀などに記述があるところを考えてみれば、それに似たようなことがあったのかもしれません。

結末はショッキングな話ですが、やはり夢のある話ではありますね。
竜宮城の場所&浦島太郎のモデル
ここでは、気になる竜宮城の場所や浦島太郎のモデルについても調べてみましょう。
浦島太郎の竜宮城
まずは浦島太郎に登場する竜宮城ですが、乙姫様が住んでいて、四季が一度に楽しめる庭があります。
もしも竜宮城が海の中だとしたら、その庭を維持するのは大変そうですね。
ちなみに、最古の伝説がある京都府伊根町では、蓬莱山という山に連れられて行ったと言われています。
四季を楽しめる庭という伝説から考えると、海よりも信ぴょう性が高そうです。
他にもある竜宮城
実は浦島太郎のような伝説は世界中にあり、同じように竜宮城も登場します。
竜宮城の場所についても実にさまざまなところにあり、なかなか興味深いものなので、簡単にまとめてみます。
南の海の中
中国でも似たような話があるのですが、その中の竜宮はざっくりとした表現で、南の海の中にあり、華厳経と言う経典の下の巻を授かったという伝説があります。
川の水底
なんと福島県二本松市(旧塩沢村)では、川の水の奥底にあるという伝説があります。
川で鍬を洗っていたら、誤って水中に落としてしまい、底を捜しまわっていたら、いつの間にか竜宮にたどり着いてしまったというものです。
その後、三日目には帰りますが、その間に25年もの月日が流れてしまっていました。
荘内半島の沖
先に紹介した浦島太郎伝説が残る香川県三豊市では、荘内半島沖にあるとされています。
洞窟や湖
その他、水中と言っても海ではなく、湖というところもあります。
あまり想像できないかもしれませんが、洞窟という説もあります。
竜宮城の場所は多くありますが、話の大筋はどれも同じ、土産物をもらって開けたところ何年もの時間が経っていたというところは変わりないようです。
さらに夢のある話
古代の日本では、海の彼方にあるとされた常世の国という異世界を信仰していました。
そのため、竜宮城はこの常世の国にあると考えられていました。
もう一つは、まるでSF小説?のようですが、宇宙人にさらわれたという考え方もあるようですね。
ということは、竜宮城はUFOの中でしょうか。

今も昔も、人間の想像力は多種多様だったようです。
浦島太郎のモデル
浦島太郎の伝説は、日本各地にもいっぱいありますが、最古の伝説とされる丹後地方の浦島子が最も有力ではないかと思われます。
825年当時に実在した豪族である浦島一族を祀った浦島神社や、丹後国風土記や日本書記に記載されている話もこの浦島子の話です。
また、浦島明神縁起でもそれをひもとくことができます。
さらに、浦島神社には、日本最古の浦島太郎物語が描かれた国の指定重要文化財である浦島絵巻や、室町時代の文様が施された乙姫の小袖、亀甲文櫛笥の玉手箱があります。
もう一つ有力と考えられるのは、香川県三豊市の荘内半島の浦島太郎でしょうか。
浦島という地名そのものは無いのですが、地域全体がまとめて浦島と呼ばれており、あちらこちらにゆかりの地とされるところもあります。
しかし、確固たる記述のあるものは、特に見つかっていないのが残念なところ。
というわけで、やはり浦島子のほうがモデルだったのではないでしょうか。
まとめ
目の前に広がる青くてキレイな海を眺めていると、その水平線の向こうには何があるのか思わず想像してみたくなります。
もちろん、その先には海外のいろんな国々や島々があるのですが、その当時の日本ではなかなか想像しえないもの。
だからこそ、この上ない幸せの世界を創造できたのかもしれません。
浦島太郎のような話も、そのような豊かな想像の賜物だったのかもしれません。
亀を助けて竜宮城に招待され、乙姫様と楽しく過ごしたそのひと時は、まさに人生の栄華を表しているようです。
そして、夢のような場所から戻ってきたあとの年老いた姿はなんとも言えない悲哀が感じられ、人生の終焉を感じさせられます。
まさに人生は栄枯盛衰、いつの時代も同じように時は流れていくのだと実感させられますね。
どうやら浦島太郎は、実は単純なおとぎ話ではないようで、大人には大人なりの読み方があるような気がしてきました。

この夏、もう一度読み返してみてはいかがでしょうか。