• 終戦後の人々の生活
  • 戦時中より少ない物資
  • 占領軍への恐怖

広島に原爆が落とされた数日後、日本は終戦を迎えた。

 

戦争に負けたことに怒りを感じていたすずだったが、もう空襲にも怯えることもなく、穏やかな日常が戻ってくると思っていた。

 

しかし、敗戦国日本では戦時中よりも苦しい生活が待っていた。

 

戦後の日本での普通の人々の暮らしが垣間見えます。

 

この世界の片隅に・最終話感想とネタバレ!

 

戦争が終わりました。

 

Give me chocolate

戦争が終わって人々の暮らしも安全なものになりましたが、日々の生活は苦しいままでした。

 

むしろ戦後の方が物資が少なく、毎日食べるものを調達するのが難しいくらいでした。

 

すずが、食料を探しつかれて腰かけていると、アメリカ兵がすずを子供と思ったのか、チョコレートを渡してくれました。 

 

戦後、進駐軍のアメリカ兵に向かって、子供たちが「give me chocolate」と言って甘いお菓子をもらっていたのは戦後ドラマでよく見る光景ですね。 

 

長い列ができていたので、何の列かわからず並んでいると義姉の径子も合流します。 

 

列はアメリカの残飯雑炊でした。 

 

キャラ

でも、いい匂い 

 

タバコの包み紙が入っているような一見怪しい残飯雑炊でしたが、食べてみるととても美味しく、すずと径子は思わず笑顔になるのでした。 

 

物資がなくて盗みをするものも多い世の中でしたが、それでも命を奪われる心配がないということは、何よりだったのでしょう。

 

祖母からの手紙

義父の円太郎と径子は働きに出ていました。

 

しかし周作はまだ帰ってきていません。

 

そんな中すずの祖母のイトから手紙が届きます。

 

その手紙には、母のセキノが行くへ不明のままなこと、父の十郎と妹のスミは母を探していたが、二人とも被爆し(当時は自分たちが被爆したことなど分かっていません)、父もすぐ亡くなってしまったことが書かれていました。

 

すずは悲しみをこらえますが、義母のサンに泣いて良いんだよと優しく言われ、我慢していたものをすべて吐き出すようにサンの胸で泣き崩れるのでした。

 

キャラ

サンも優しいお母さんです

 

すず広島へ

すずは広島に向かいました。

 

祖母の暮らす草津では海苔作りも復活していました。

 

妹のスミは、起きることもままならないほど弱っており、腕には変なあざができていました。

 

「治るかな?」と心細く話すスミに、すずは「治るよ」とあののんびりした口調で言います。

 

姉妹は、子供の頃に戻ったように、寝転びながらずっと話し続けるのでした。

 

キャラ

スミが生き残っていることだけでもすずは安堵です

 

悔しくても生きる

祖母のイトはすずに、「悔しい。戦争に負けたことも、セキノのことも、スミのことも、何もかも悔しい」と言いました。

 

悔しいからこそ、一生懸命海苔を作り、一生懸命生きるんだと言います。

 

「できることは生きることだけじゃよ」と。

 

キャラ

生きていればなんでもできます

 

終戦後日本人は、みんなイトと同じように悔しさをバネに、一生懸命に、前を向いて、生きることだけ考えていたのでしょう。

 

そんな戦後の生き残った人たちの頑張りにより、今の日本ができたのです。

 

キャラ

日本人は強い

 

周作帰る

すずが広島に行った日に周作が帰ってきました。

 

北条家の男性はどうもいつもタイミングが悪いようです。

 

すずに会えると勇んで帰ってきたのに、すずがいなくて周作はふくれます。

 

「すずさんに会いたかったんじゃ」臆面もなく言うのでした。

 

キャラ

すず、愛されてます

 

周作はすずを追って広島へ向かいますが、一足違いで祖母の家では会えませんでした。

 

そして、二人が子供の頃初めて会った、広島ドームの側で再開します。

 

しかし辺りは一面焼け野原で、誰かが常に誰かを探していました。

 

周作はすずを見つけ、「俺はすずさんがどこにおっても見つけられる自信がある」とここでも恥ずかしくなるようなセリフを言います。

 

それに応えてすずは「この世界の片隅で見つけてくれてありがとう。もうずっと離れない」と愛を誓うのでした。

 

キャラ

本当に仲の良い夫婦です

 

広島で生き残った子

広島に原爆が落ちた日、一人の女の子と母親も被爆しました。

 

母親は全身やけどでボロボロで右手も失っており、しばらくして座ったまま亡くなりました。

 

女の子はしばらく横についていましたが、本能で生きようと思ったのか母のもとを離れます。

 

同じように被爆したのに女の子がやけどひとつしてなかったのは、母親がとっさにかばったからでしょうか?

 

駅でおにぎりを食べていたすずと周作の側にその女の子が近づいてきます。

 

すずは女の子におにぎりを渡します。

 

女の子は右手がないすずを母と思ったのか、「おかあちゃん」と言ってそばを離れません。

 

すずと周作は呉にその女の子を連れて帰りました。

 

北条家の皆は驚きましたが、温かく受け入れます。

 

とくに径子は亡くしたはるみを思い出し、優しい微笑みを浮かべるのでした。

 

キャラ

きっといたるところでこんなことがあったのでしょうね

 

その女の子が、現代版に出てくる節子でした。

 

ここで現代版と繋がります。

 

現代の話は、節子というキャラクターを通すことで、戦時を知らない世代が多くを占めるようになった今の時代に向けて、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないというにメッセージをなのではないでしょうか。

 

女たちはいつも時代も強い

すずが広島に行こうという話になった時、節子が言ったセリフが印象的でした。

 

「戦争から帰ってきた男たちが余っとる。戦争は男がおらんでも、女だけで大抵なことは何とかなると証明したようなもんじゃ」

 

戦争に行き、敵と戦ったのは男性陣ですが、日々の暮らしをしながら日本を守っていたのは女性です。

 

いつの時代も女性は、我慢強く、辛抱強く、そして深い愛でいろんなものを守っているのですね。

 

私たちは戦争を知りません。

 

キャラ

このまま知らずにいられることを願います

 

8話の振返り

 

ここでもう一度8話を振り返っておきましょう。

 

何としても広島に行きたいすず

広島の空にみたこともない巨大なキノコ雲が広がりました。

 

どうも、広島に新型爆弾が落とされたらしいと知ります。

 

すずの実家がある広島の江波の様子が気になるすずですが、どうしようもありません。

 

そんな時、近所のハルが広島に行くと聞いて、自分も連れて行って欲しいと言います。

 

すずは自分の決意を示そうと、左手で自分の髪の毛を切って「これなら髪を結う手間も省ける」と言い、なんとしても広島に行こうとします。

 

キャラ

とっさに思いつきでしょうがいきなりで驚きです

 

しかし、救援のトラックは医療関係者しか乗れません。

 

周りの説得もあり、すずは広島行きを諦めるしかありませんでした。

 

飛んできた障子

広島の町に新型爆弾が投下され、爆心地から山一つ、距離にして20km強離れたすずの住む呉の町にどこからか飛んできた障子が木に引っかかっています。

 

すずは木に引っ掛かった障子を一人で取り除こうとしています。

 

「お前は広島から飛んできたのか?私といっしょじゃのう」と言いながら。

 

きっとすずは、その敗れた障子と今の右手を無くした自分を重ねていたのでしょう。

 

木の上ですずは「強くなりたい」と自分に言い聞かせます。

 

キャラ

ここからすずが少しずつ変化します

 

周作とすずは仲直り

すずたちが畑仕事をしていると、頭上から「日本は降参すべきだ」と書かれた紙切れがいくつも舞い降りてきます。

 

本来はそれは憲兵に届けなければいけませんが、すずは集めてもみしごき、落とし紙(トイレットペーパー)にしようとしていました。

 

キャラ

なかなかしたたかなすずです

 

すずは降参しろという文言に怒っていたのです。

 

そんなすずを見ていた周作は「どさくさで忘れてたけど、このうち出るというのはどうなった?」とすずに聞きます。

 

すずは「今それ聞きますか?」と一瞬むくれますが、「この家におらしてください」と改めて周作にお願いするのでした。

 

周作は本音ではすずが家にいてくれることが嬉しい癖に、ちょっと意地悪ですね。

 

キャラ

素直じゃない周作です

 

二人の夫婦喧嘩はホントの犬も食わないかわいいものです。

 

思いもしなかった終戦

広島に新型爆弾後落とされてから数日後、北条家に回覧板が回ってきました。

 

正午から重大な発表があるのでラジオの前で待機するようにという通達でした。

 

北条家と近隣の住民が北条家の居間でラジオを聞きます。

 

玉音放送を正座して聴いたところで、みんなはその状況をうまく飲み込むことができません。

 

内容は戦争が終わった、それも日本が負けたということでした。

 

キャラ

ラジオを聞いた全員が放心状態になります

 

戦争が終わったということよりも、日本が負けたことにショックを受けます。

 

突然激高するずず

みんなが放心状態になっていると、すずが突然立ち上がり「なんで、なんで」と叫びます。

 

「覚悟の上の戦争じゃなかったのか?最後の一人になるまで戦うんじゃなかったのか?」

 

「まだ戦えるじゃろ。こうやってまだみんな生きとるのに…」

 

すずは納得できないと、感情をむき出しにします。

 

今までののほほんとした雰囲気から一変、「このままではいられない。強くなろう。」とすずの気迫の一場面でした。

 

キャラ

これがホントのすずの姿なのかもしれません

 

喪失の後の新たな決意

すずが怒りに震える姿を見ながら、みんなもそれぞれいろんな思いをよぎらしていました。

 

戦争なんかしなければ、息子や愛する夫を戦争に取られずに済んだのに。

 

戦争がもうちょっと早く終わっていれば、はるみも死なずに済んだのに。

 

それぞれがみな悔しさを噛みしめていました。

 

多く人の犠牲のあとで戦争が終わったのです。

 

すずは畑から眼下を見渡しながら、もっともっと強くなるとさらに決意をするのでした。

 

妹からのハガキ

台風が呉の町を襲った夜、北條家に郵便が届きます。

 

しかしほとんど雨に濡れて内容が読み取れません。

 

かろうじて差出人の名前が読み取れました。

 

それはすずの妹のスミからのものでした。

 

キャラ

スミは元気でいたのです

 

雨の日に無理に配達しなくていいのに。

 

黒焦げの人は息子だった

広島に爆弾が落ちた数日後、呉の町に黒焦げになった人が行き倒れていました。

 

あまりにドロドロで身元は分からないままでした。

 

しかし、その後友人からの手紙によって、その行き倒れていた人物はタキの息子だったとわかったのです。

 

タキは母親なのに息子と気付けなかったことを悔やみ泣き崩れます。

 

キャラ

まる焦げでは仕方ないです

 

その話を聞いていた中には幸子の婚約者の成瀬も来ていました。

 

成瀬が突然、「祝言の話はなかったことにしてくれ」と言い出します。

 

一同はタキの話で成瀬が結婚をやめにしたいと言ったのだと思いました。

 

しかし、すぐ成瀬は「僕は二男だから、僕がこちらに婿に入ります」と言ったのでした。

 

タキに「だから息子ができます。大丈夫です。」と

 

優しい成瀬です。

 

キャラ

幸子は幸せになりますね

 

戦後の不安な日々の中の、ほんわかした幸せが人々を暖かく包んだ瞬間でした。

 

リンの消息

周作が反乱軍の制圧に赴くことになりました。

 

周作は気乗りがしません。

 

せっかく生き残ったのに、同じ日本人同士で戦わなければならないのが嫌でたまらないのです。

 

キャラ

いつまでも負けたことに納得できない人もいるのです

 

周作と話しながら街中まで見送りきたすずに、周作が前に聞いてきたリンの消息について告げます。

 

「そこを曲がってすぐじゃ、自分で確かめて来い」と。

 

リンの遊郭が廃墟になっていました。

 

その廃墟の中に、すずが渡したリンの花の茶碗が割れて転がってました。

 

この割れた茶碗がリンの最期を物語っているようです。

 

戦争という一つの時代が終わったのでした。

 

この世界の片隅にを見逃したらVOD

この世界の片隅に 感想 ネタバレ

 

ついに最終話を迎えた「この世界の片隅に」、戦後のすずを見逃した方もまだ見るチャンスはあります。

 

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まとめ

西日本の豪雨、台風被害、そして北海道地震など、さまざまな通信システムが整っている現代ならリアルタイムで各地の情報を知ることができます。

しかし戦争をしていたあの時代、一般の人々にはほとんど情報が伝わりません。

広島に落ちた爆弾がどんなにひどいものだったのか、戦争に負けたのはどうしてなのか、人々は何わからないままでした。

それでも人々は力強く、明日を信じて生きていたのです。

今までの戦争を扱ったドラマとは一味違い、戦時中のごく平凡な家族の日々を描いた「この世界の片隅に」でしたが、それでも戦時中の悲惨さが十分伝わったドラマでした。

 

日本ではあれ以来戦争はありませんが、今も世界のどこかで戦争が行われているところがあり、その中で普通に暮らす人々がいます。

 

戦争がなくても、災害時も同じです。

 

どんな時代も、どんな時も、人々は自分の暮らしを大事に一生懸命生きているのです。

 

キャラ

全世界に人々が穏やかに暮らせることを願います