• 伊達政宗の子孫や末裔って何をしている?
  • 伊達家は厳しい家訓がずっと引き継がれている?

歴史に名を残してきた人物たちの血を引き継ぎ、子孫・末裔がたまにメディアで取り上げられていたりします。

スケートの織田信成さんは織田家の子孫なんて噂も耳にしたことがあります。

私が好きな伊達政宗も子孫や末裔について調べてみました。

独眼竜で知られる「伊達政宗」ですが、子孫や末裔が現在何をしているか気になったりしませんか?

 

伊達家には厳しい家訓があったことにも驚きです。

 

伊達政宗の子孫、末裔の方について、そして厳しい家訓についてご紹介します。

伊達政宗の子孫・末裔の今は?
伊達家の家訓は受け継がれている?

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伊達政宗と言えば何が思い浮かびますか?

「独眼竜」として戦国時代を駆け抜けた武将ですね。

 

小田原、関ヶ原という主要な戦で、数々の功績をあげた男。

 

それが伊達政宗。

 

そんな伊達政宗の子孫、末裔はどのような人なのでしょうか。

 

気になりませんか?

 

伊達政宗(だてまさむね)ってどんな人?

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歴史を改めて知りたいという方へ基本情報をお伝えします。

伊達政宗
  • 出身地:出羽(山形県)
  • 生年月日:1567年8月3日
  • 死没:1636年5月24日 70歳(病死)
  • 室町時代(戦国時代)、安土桃山時代

 

どんなことをした人?経歴は?

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伊達政宗は天下統一を目指して、東北を支配していた戦国大名です。

  • 戦国大名・伊達輝宗(父)の長男として政宗が生まれる
  • 幼少期に天然痘(てんねんとう)という伝染病にかかり、右目の視力を失う

伝染病にかかった政宗を「不吉」に思った母親は可愛がることをしなかったそうです。

 

父親は才能を期待していました。

 

  • 18歳で家を継ぎます。
    近場の戦国代網たちに戦いを挑んで、次々と勝ちまくり一気に出世。
  • 24歳の時には奥州66郡のうち3分の1を支配

24歳で100万石の大名になりました。

 

1590年 天下統一を目指す豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めたとき、政宗に家臣になるよう求める

政宗は迷いながらもギリギリで秀吉に従ったのです。

 

迷っていたので、予定よりも遅れて小田原に到着し、遅すぎると秀吉は激怒寸前!

 

政宗は死ぬ覚悟である意志を伝えるために、白装束を着て秀吉に会いにいきました。

 

秀吉は、堂々とした政宗のその行動を気に入り許したのです。

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度胸のある男だということで秀吉も許したのでしょう。

  • 秀吉が死んでからは徳川家康の味方に。
  • 江戸時代には仙台藩の初代藩主に。

江戸幕府の3代将軍・徳川家光から信頼も厚かったのです。

 

  • 政宗は家臣の支倉常長(はせくらつねなが)をメキシコ・ヨーロッパへ送る
  • 国内だけでなく世界を舞台にして活躍。

簡単に説明するとこのような経歴の持ち主なのです。

 

自分から右目をえぐったって本当?

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政宗は冒頭でもお伝えしたように、伝染病にかかり右目の視力を失っていました。

病気の右目をずっと気にしていた政宗。

 

「おれの右目をくりぬいてくれ」

 

となんとわずか9歳のとき、家臣の片倉小十郎に頼んだのです。

 

小刀で政宗の右目をくりぬいたそう・・・。

 

これをきっかけに内気だった政宗の性格は明るくなったそうです。

 

積極的に活躍をし、「独眼竜」という名を轟かせたのです。

 

片倉小十郎は政宗の親友で、死ぬまで信頼し合った仲でした。

 

政宗の兜の「月」形には意味がる?

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政宗の兜の形も印象に残っている方も多いですよね。

あの月の形は印象的です。

 

「月」の形をした兜の意味
  • 兜の月は飾り
  • 三日月は「妙見菩薩」という戦闘の守護者の紋の1つ。

ただの飾りではなく、お守りのようなものですね。

 

当時の武将たちは武功をあげることがイケてることでしたので、兜も目立つものがよかったのでしょう。

 

あんな大きな飾りをつけた兜は重いんだろうな~と思いますが、実はめちゃくちゃ軽いんですって。

 

金属じゃなくて、木に金箔を貼っただけのものだから。

 

戦でも刀を抜くときに邪魔にならないようになど、戦いやすいように工夫されていたんです。

 

伊達政宗の子孫、末裔の今は?

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仙台藩主だった伊達政宗の子孫として、伊達家18代当主を務めているのが「伊達泰宗(だてやすむね)」さん。

 

伊達泰宗さんは1959年2月9日生まれ。

伊達貞宗の子どもとして東京で生まれ、東京で育つ

父親が死去してからは仙台に移住。

1987年には伊達政宗の生涯を描いたNHK大河ドラマの監修を勤めました。

1994年には安土桃山時代に絶縁していた浅野家と398年ぶりに和解をしたことも有名。

 

  • 歴史の専門家
  • 学芸員の資格を保持

伊達家ゆかりの歴史遺産の修復なども手がけている。

 

伊達政宗の末裔は厳しい教育を受ける

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子孫であり、名家の出身であるために幼少の頃から厳しく育てられたようです。

正月になると旧家臣の子孫である仙台藩志会の人たちが「ご機嫌伺い」に来るのです。

 

父への挨拶が終わると

 

「若様、お勉強の時間でございます」

 

と呼ばれたそうです。

 

厳しい人々と正座で向かい合って教えを説かれ、政宗公と伊達家についての話が続くのです。

 

最後には必ず「政宗公直系の子孫であるということを、片時も忘れてはいけません」という教え説かれていたそうです。

 

躾にも厳しかったそうですよ。

 

厳しい家訓で外で飲み歩くのもNG?

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厳しい家訓は受け継がれていたそうです。

成人してからもお酒を飲み歩くことは禁止

大人になってから自由に飲み歩くことができないなんて・・・。

 

会社の同僚などから誘われる場合には問題なかったそうですが、自ら楽しみとして飲みに行くということは伊達家では禁止。

 

伊達家として相応しくないとされていたんです。

 

飲みに行かないルールも守っているので、国分町(仙台の歓楽街)に行くこともほとんどないんだとか。

 

付き合いが悪いと思われているでしょう。とご本人もおっしゃっていたようです。

 

この家訓をしっかりと守るのですから、伝統を受け継ぐ覚悟をもっていたということでしょう。

 

サンドイッチマンの”伊達みきお”さんも伊達家?

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伊達みきおさんも伊達家に関係しているそうです!

伊達みきおさんは、伊達家の分家の血筋を引いていて、直接伊達政宗とつながりがあるわけではありません。

 

伊達みきおさんは、幼少の頃から銀行員の祖父、父に育てられました。

 

厳しい躾を受けていたのです。

 

しかし、お笑い芸人になるときに父から「伊達政宗の子孫だから名前を隠せ」と言われたそうですが、そのまま名前を使ったんだそうです。

 

その影響で「伊達政宗の末裔」という扱いを受けたことがあるんだとか・・・。

 

本当は直接の末裔ではないようですね。

 

伊達政宗と関係する子孫は他にもいる?

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伊達泰宗さんのように伊達政宗と関係する子孫はいるのでしょうか。

18代目の当主がご健在ですが、それ以外の子孫はどうなっているのかは知ることができません。

 

伊達家の家系では伝わっているので、本人たちはどんな血筋なのか理解しているでしょうね。

 

子孫や末裔の誰もが有名人になるとは限らないですからね。

 

しかし、伊達政宗の子孫・末裔として幼少の頃から厳しい躾をされていたという所は、名家を引き継ぐことの大変さが分かります。

 

好きに飲みにいけないなんて守れない・・・なんて思った方もいるのではないでしょうか。

 

伊達政宗末裔8代目は大変?

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末裔として与えられた人生もそう楽ではないようです。

4代目綱村公以降の当主、夫人、親族のお墓は30基ほどあり、山ひとつが墓城となっていたそうです。

 

これは伊達家の所有。東日本大震災のときに、石灯籠203基の全てが崩壊。

 

伊達家の当主として墓所は守らなければなりません。

 

改修工事を行い、改修記念の法要を行ったのです。

 

1985年にはローマ法王と会った

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ローマ法王ヨハネ・パウロ2世聖下とも会ったことがあるんだとか。

ローマ法王ヨハネ・パウロ2世聖下と会ったのは、「慶長遣欧使節団を派遣した政宗公の子孫」ということで謁見が許されたのだとか。

 

バチカン宮殿にてスイスの儀仗兵に迎えられ、慶長遣欧使節団の支倉常長がローマ法王パウロ5世と会った部屋を通り過ぎて、御座の間に。

すぐ隣には法王の部屋がある、国賓を迎えるために使われる部屋だったそうです。

 

そんな部屋に通されるなんて凄いですね。

 

30分ほどお話をされたそうですが、日本語でも話をされたことに驚いたと語っていました。

 

伊達政宗公の勇気に心から敬意を表します。

ともに世界平和のために活動していきましょう。

このように日本語で話されたそうです。

 

政宗公以来の友好の親書を渡すことができたのです。

 

この時代に生まれ、天から与えられた役目をしっかり果たしていかなければと肝に銘じていると話していました。

 

まとめ

伊達政宗公の末裔として生まれ、先祖から受け継いだ家訓、墓所などの遺産を守り維持していくことはそう簡単なことではありません。

しかし、伊達政宗の意志や家訓を引継ぎ、守り続けている末裔の泰宗さんは素晴らしいですね。

ローマ法王に会って話をするなんて、普通考えられないことであり、ローマ法王が伊達政宗公に対する敬意を現在でも持ち続けていること。それもまた感慨深いものがあります。

 

日々色んなものがものすごいスピードで進化し、めまぐるしく変わっていく現代ですが、こうして時代を受け継ぐ人たちがいるということ。

 

歴史上の人物の末裔をしることで、歴史を改めて知ることができるのも面白いなと思いました。