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  • ジンギスカンで人を思い浮かべる?
  • ジンギスカンで料理を思い出す?
  • 成吉思汗と書いてジンギスカンって読む

あなたはジンギスカンと聞いて何を思い浮かべますか?

焼肉ですか?それともモンゴルの英雄ですか?

今回はジンギスカンについてあれこれです。

ジンギスカンを漢字で書くと

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なぜその漢字?

ジンギスカンを漢字で表すと「成吉思汗」と書きます。

 

歴史の授業で覚えるのに「なるきち思うに汗をかく」と語呂合わせで覚えた人もいるかもしれません。

 

成吉思汗はモンゴル語名を中国語の音訳にしたもので、中国語読みで「チョンジースーハン」となります。

 

日本では漢字の意味を考えてしまいますが、ジンギスカンの漢字「成吉思汗」は音にはめただけで、特に意味はないようです。

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ジンギスカンって人、食べ物?

 

食べ物としてのジンギスカン

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ジンギスカンて羊だよね?

料理のジンギスカンは、羊肉を焼いて食べる北海道の郷土料理です。

 

ジンギスカン鍋というものを使って焼くものと思われていますが、ホットプレートや網焼き、炭焼き、石焼など、どんな焼き方でも全部ジンギスカン料理です。

 

羊肉をタレに浸してから焼く、もしくは羊肉を焼いてからタレにつけて食べるに別れます。

 

日本で羊肉が食べられるようになったのは大正時代からだといわれます。

 

日本が満州に進出した際に、現地で羊肉が食べられており、それがきっかけで日本に羊肉が入ってきました。

 

昭和になり、羊肉を食べる文化が定着していきます。

 

羊肉を鍋で焼く料理をジンギスカンと名付けたのは、満州の建国に携わり、のちに満州国の総務長官になった「駒井徳三」という説が有力です。

 

駒井徳三の娘が、「父はものに名前を付けることが大好きで、蒙古草原、羊群、義経のイメージ、そしてリズム感からジンギスカン鍋とつけたのでしょう」と語っており、そのことから日本の羊肉料理が「ジンギスカン」となったといわれています。

 

人物ジンギスカンと料理にジンギスカンの関係は?

モンゴルにも羊肉を食べる文化がありますが、日本で食べるジンギスカンとは大きく異なります。

 

チンギス・ハーンがなまってチンギス・ハン、ジンギスカンと呼ぶことがあり、そのため関係があると思われがちですが、実際は関係はありません。

 

ただ、ジンギスカン(チンギス・ハン)が遊牧民族であり、戦場での野戦職として羊肉を欠かすことがなく、最高の食材といわれていたことから、彼の名を取ってジンギスカンと呼んだという説もあります。

 

他に、料理に使用する鍋がモンゴル兜に似ているからという説んもあるとか。

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日本人は何かと関係づけたいのかも

 

人物としてのジンギスカン

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ジンギスカてどんな人?

本来はチンギス・ハンですが、ジンギスカンともいわれます。

 

1155年、モンゴルでジンギスカンは生まれました。幼少期の名前はテムジンといいます。

 

父はモンゴル部族の一部族ホルジキン士族の長のイェスゲイです。

 

母はホエルンといい、敵対するメルキト部族の族長の妻でしたが、イェスゲイに略奪されて妻となりました。

 

その二人の間に生まれたジンギスカンは、右手に血の塊を握って生まれたといわれ、その為「蒼き狼の子孫テムジン」といわれといいます。

 

1163年、9歳でオンギラート族のデイ・セチェンの娘セチェン・ボルテと婚約。

 

しかしその宴会、父のイェスゲイは酒に毒を盛られ亡くなってしまいます。

 

父の死後すべての牛・馬・羊・テントが奪われ、テムジン(ジンギスカン)は「幼いうちに始末しろ」とつかまり処刑寸前までいきましたが助けられます。

 

テムジンは、遊牧民が口にしなかった魚を食べ、時には野ネズミさえ食べ、苦労を重ね辛抱強く勇敢な戦士に成長していきます。

 

1171年、婚約者であったセチェン・ボルテと結婚。

 

セチェン・ボルテの父デイ・セチェンはテムジンの父の親友であったケレイト族の族長ワン・ハンに二人の支援を依頼しました。

 

テムジンは結婚祝いにもらった黒豹の毛皮を土産にワン・ハンを訪問、ワン・ハンは橋梁句を約束してくれます。

 

メルキト族がテムジンの妻、セチェン・ボルテを奪って逃げます。

 

妻を奪われたテムジンは妻を取り返すべく、ワン・ハンを訪ねメルキト族討伐の力添えを頼みます。

 

子供の頃テムジンとシカの骨を交換して兄弟の誓いを交わした若者、ジャムカとワン・ハンの協力を得てメルキト族を攻撃、これがテムジンの初陣となります。

 

戦いの中、テムジンは妻のセチェン・ボルテを救出します。

 

1188年、テムジンはメルキト族との戦いに大勝利を収め、これによりテムジンはモンゴル部族の新しい英雄として知られるようになります。

 

その後21の部族から指導者が集まり、部族長会議が開かれ、その会議でテムジンは「ジンギス・ハン」となりました。

 

ハンはモンゴル部族の長を指します。

 

ジンギスはテムジンがハンになった時、五色の鳥が飛んできて「ジンギス(チンギス)」と鳴いたからといわれています。

 

1203年、ワン・ハンとジャムカが手を組みましたが、ジンギスは中部モンゴルで彼らと闘い勝利を収めます。

 

1204年、トルコ系にナイマン部族を平定。ジンギスはここにモンゴル全土を統一します。

 

1206年、ジンギスカンはモンゴル高原のすべての部族をオノン湖畔に集め、全ての部族の長となる儀式を行い、モンゴル帝国を誕生させました。

 

1207年、ジンギスカンは西夏に侵入、西夏との戦いで城を攻める戦術を学びます。

 

モンゴル軍の都市攻略方法は一貫しているといわれました。

 

抵抗する町は完全に破壊、抵抗が3日に及べば住民を皆殺し、片耳を切り落としその数を記録、死骸を積み上げ、男・女・子供の3つのピラミッドを作りました。

 

1211年、ジンギスカンは万里の長城を突破、金が支配する北京に迫ります。

 

1214年、金の皇帝は、ジンギスカンと和平を結びます。

 

1215年、西アジアのイスラム国ホラズムがジンギスカンと交易したいと要請します。

 

しかし、1218年、ジンギスカンが派遣した使者と隊商がホラズムの街で皆殺しとなります。

 

怒ったジンギスカンは1219年ホラズムを征服しに行きます。

 

1225年、ホラズムを征服してモンゴルに帰国、孫のフビライが12歳になっていました。

 

1226年、ホラズムに兵を出すことを拒否した西夏への攻撃を再開、首都興慶を包囲します。

 

1227年、西夏攻略の3日前、落馬による負傷が原因で65歳でジンギスカンは生涯を閉じました。

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ジンギスカンは波乱万丈の人生だったのですね。

ジンギスカン(チンギス・ハン)と源義経が同一人物という説もあるようですが、これはありえませんよ。

 

まとめ

ジンギスカンについて、人物と料理について紹介してきました。

名前が同じだとついつい関係あるのかと思いがちですが、全く別物でしたね。

でももしかして関係あるかもと思ってたどってみると意外な発見もあって面白いですよね。

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さて、今日の夜はジンギスカンかな

 

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