• ツチノコの正体はトカゲだった?
  • 蛇のミイラという説もある?

ツチノコ(槌の子)は、日本において多くの方が未確認生物の一種であるということを認識しています。

昔から多くツチノコが発見されたなどといった目撃情報は寄せられているものの、未だにツチノコを捕獲したという事実はありません。

では、どうしてそんな目撃情報が寄せられるのでしょう??不思議ですよね。

 

ツチノコについては、獲物を丸呑みにし、お腹が膨れた蛇を目撃した!?というのが始まりでした。

 

それでも最近、ツチノコの正体は「トカゲ!?」それも「オオアオジタトカゲ」であると言われているのです。

 

そう言われてみると、ツチノコの姿や形によく似ている気がします。

 

しかし、ツチノコを目撃したという事実は古く江戸時代にもあると言われており、最古は縄文時代であるとも言われているのです。

 

ここでは、ツチノコの正体について、また本当に蛇のミイラという説が実在しているのかについて解説していきたいと思います。

ツチノコの正体はオオアオジタトカゲ?

ツチノコの正体であると言われているオオアオジタトカゲは、日本においては1970年に外国から輸入され始めて日本にやってきました。

 

これは、目撃情報が急増した時にツチノコがブームになった時と時が重なっています

 

オオアオジタトカゲはとても飼育しやすいだけではなく、誰もが手に入れやすい価格であったことで人気に火がつきました。

 

しかし、その後、飼育放棄されるようなことが多発し、さらには檻を逃げ出し、それがツチノコに見間違えられているという可能性もゼロではありません

 

とは言え、本当にツチノコの正体がオオアオジタトカゲなのか!?と思ってしまいます。

>>アオジタトカゲがツチノコの正体だった?

 

未確認生物であるツチノコとは一体何?

ツチノコは深山の木の穴に住んで、大きい物では体長約90cmもあります。ツチノコは人の姿を見ると、人の足に噛みつく習性があると言われています。

 

しかし、坂を掛け上がれるほどの力はなく、ツチノコに出くわした場合は、高い場所逃げるべきだという解説も書かれているのです。

 

現代においては、正体不明の未確認生物であると言われているのです。

ツチノコの特徴
  • 蛇よりも胴の中央部が膨らんでいる
  • 強いジャンプ力を持つ
  • 味噌屋スルメなどを焼く臭いによって来る
  • 素早く動く
  • 尺取虫のような動きをし、尾を加え体を輪にして転がり移動する
  • いびきをかいて寝る
  • 猛毒を持っている

などといった説が挙がっています。

 

ツチノコは古き縄文時代から目撃されてる?

https://youtu.be/Q2NJGiYmtLg

ツチノコの目撃情報については、1970年に海外から輸入されたことがきっかけという訳ではありません。

 

江戸時代の文献によると、ツチノコの挿絵が付いた目撃情報が残っており、それでも江戸時代にはまだオオアジタトカゲは存在していないのです

 

もしもそのツチノコの正体がオオアジタトカゲなのであれば、本来であれば江戸時代から目撃されていなければなりません。

 

それに、ツチノコは、実は縄文土器の壺の縁に描かれていると言うのです。

 

長野県の尖石考古館に展示されている縄文土器の壺の縁に、平らな頭をして目は丸く足のないトカゲを思わせるツチノコのような?縄文土器があるのです

 

これが昔からツチノコが存在したということでもあり、日本において古来の生物として存在していたことを証明していることになります。

 

これについては、飛騨縄文遺跡からも6000年前の石器である「幻の土の型石器」として紹介されているのです。

 

これだけ昔からツチノコが存在していたという事実には驚きますね。

 

日本古来の生物として存在していれば、縄文時代の目撃情報はおかしいことではないと言えます。

 

ツチノコは古事記や日本書紀にも記録が残されています。

文献にのこされているツチノコはとても古く、奈良時代の古事記や日本書紀には、カヤノヒメ神として「ノヅチ」と呼ばれていました

 

これが文献に登場したツチノコであるという考えが広まっています。

 

ツチノコは漢字表記もあり、「槌之子」と呼ばれ、これが後に全国的に広まっていき、「野槌」とも呼ばれています。

キャラ

また、ツチノコは鎌倉時代の仏教説話の中にも記載が残されているのです。

鎌倉時代の仏教説話集によると、徳のない僧侶が目鼻や手足のない野槌として生まれ変わったとも言われているのです

 

仏教法話にも野槌が登場しており、当初、庶民である私達にとってはとても馴染みある生き物出会ったことが分かります。

 

また、江戸時代に出版された「和漢三才図会」において、ツチノコは「野槌蛇」と言うこと場である為、和州や吉野山中の他、菜綱側や清明滝を見ることができたそうです

 

ツチノコのミイラは実は蛇だった!?

滋賀県においてツチノコのミイラが発見されたというニュースが報じられ、その後、日本においても大きな話題となりました。

 

滋賀県には過去にツチノコが発見されたという報告があることから、滋賀県においてはそこはツチノコの聖地であるとも言われています

 

しかし、そのミイラは本当にツチノコのミイラなのか?

 

実際に見てみると、そのミイラは体長が約35cm、大きな頭を持っていて、背骨は曲がっており、通常の蛇よりかは頭蓋骨が大きいという印象です。

 

これが本当にツチノコのミイラなのであれば・・・と思うと何だか興味が湧いてしまいます。

 

ツチノコの正体は解明されていない

キャラ

ツチノコが本当に存在していたのか?

日本最古の歴史書となる古事記においてもツチノコの存在が確認されています。また、それ以降の時代においてもツチノコの存在はずっと語り継がれているのです

 

1970年代に輸入されたオオアオジタトカゲは、ツチノコの容姿に似ていることから、よく見間違えられることも多かったそうです。

 

しかし、それよりも昔に目撃されている情報についてのツチノコは一体何だったのかについては解明されていません。

 

きっと、オオアオジタトカゲとツチノコが似た形をしているという理由で、ツチノコの正体をオオアジタトカゲと決めつけてしまっているだけにすぎません

 

このようなことから、本当のツチノコの姿は未だ誰もみたことがない解明されていない生物であることが分かります。

 

江戸時代のツチノコはどう紹介されていた?

江戸時代の古書においては、ツチノコは一体どのような生物として描かれているのか、ここにご紹介します。

寺島長安の「和漢三才図会」

ツチノコ 正体

大阪の医師である寺島長安が、「和漢三才図会」にノヅチの絵を描きましたが、実際の絵はまるで蛇のようです。

 

鳥山石燕の妖怪画集「今昔画図続百鬼」

ツチノコ 正体

鳥山石燕の妖怪画集である「今昔画図続百鬼」にノヅチの絵が描かれていますが、現在のイメージノツチノコとはかけ離れた絵となります。

 

井出道貞の「信濃奇勝碌」

ツチノコ 正体

井出道貞の「信濃奇勝碌」で、ノヅチに使用されたツチノコの挿絵は、現在のツチノコに近い容姿をしています。

 

畔田翠山の『野山草木通志』

ツチノコ 正体

江戸末期に畔田翠山の『野山草木通志』にノヅチの絵が描かれました。

 

実際の大きさが記されている為、本当のツチノコを捕獲し、描いた絵であるとも言われています。

 

まとめ

いかがでしたか?ツチノコの正体について解説していきました。

ツチノコはその姿形がオオアジタトカゲによく似ていることから、ツチノコの正体がオオアジタトカゲであるという言い伝えがなされてきました。

キャラ

しかし、現に未だ本物のツチノコを見たことがあるという方は存在しません。

蛇のミイラだとも思われているツチノコは、本当に存在するのか?いや、存在するものの、誰も見たことのない未確認生物なのかもしれないです。

 

少しでもこのツチノコの正体が分かれば、古き歴史を再確認することができますね。

 

アオジタトカゲや未確認生物・UMAについて